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人格入れ替わり~本当のわたしとは①~

2018.01.16 16:07

ココロコに学ぶシリーズ


人格入れ替わり~本当のわたしとは①~


ココロコとは「ココロコネクト」というアニメのことです。知っている人も少なくないのではないでしょうか?ファンには根強い人気がありますね♪

学園もののアニメで、人間のココロをよく描いていて、しかも笑える要素も多い、私の大好きなアニメのひとつです。

今回はそんなココロコネクト、通称「ココロコ」を通して紀元前ギリシャ時代から問われる大切な問いについて触れてみたいと思います。


ココロコを知らない人は実際に見てもらったほうが内容もわかりやすいかもです( ;∀;)

簡単には説明しますけど、説明へたっぴなのでご了承ください♪


・舞台、キャラクター紹介

舞台は私立山星高校という高等学校。文化研究部(通称:文研部)に所属する5人の高校生の物語である。


八重樫太一:プロレスをこよなく愛する主人公。人が困っていたり傷つくのを放っておけない性格。




桐山唯:かわいいものが大好き過ぎて、入部届けに「ファンシー部」と書いて提出した(が、そんな部活はなかったため文研部行きに)。一方、中学時代までは空手一筋で全国大会の優勝経験も持っている。




青木義文:桐山のことが好きで告白してはフラれを繰り返している。軽い性格でお調子者ではあるが友達想いである。




永瀬伊織:明るく人当たりが良い人気者の少女。周りを盛り上げるムードメーカー的な存在である。文研部の部長でもある。




稲葉姫子:思ったことはズバズバ言う性格でクールビューティ。頭の回転もはやい文研部の副部長。

物語はこの5人で繰り広げられていく。


~あらすじ~

文研部の活動は主に学校新聞の記事を投稿すること。その日もいつものように記事を書きながら、他愛のない会話で時間が過ぎていくはずでした。

しかし部室に来るやいなや、深刻な面持ちで相談したいことがあると告げる桐山唯と青木義文。前日の夜、桐山唯と青木義文の間で、お互いの体と人格が入れ替わっていたことを告白する。つまり体は桐山で人格は青木、体は青木で人格は桐山、といった状況である。



二人の告白に、その他の三人もはじめは半信半疑であまり相手にしていなかった。

しかし、その直後、今度は八重樫太一と永瀬伊織の間で「人格入れ替わり」が起こってしまいパニックに( ゚Д゚)人格が入れ替わる時間は30分程度だが、ついには5人とも代わる代わる「人格入れ替わり」を体験することになり、そのありえない状況を認めざるを得なくなる。

そしてこの「人格入れ替わり」現象は、主に女性キャラクターに大きな傷と悩みを与えていくことになる。

3人の女性のこころは、それぞれ別の理由で次第にもろくなり深く悩んでいくのです。


「人格入れ替わり」がなぜ起こったのか。ここで部室に急遽登場したのが八重樫太一の担任でもある後藤先生。でもなんだか様子がおかしい?


彼は自分のことをこう紹介した。<ふうせんかずら>と。後藤教官の体を借りて、挨拶しにきたようだ。そして人格入れ替わり現象は、自分のコントロール下にあることを告げるのだった。

この5人が選ばれた目的は [なかなか面白そうだと思ったから]とのこと。ある程度面白くなれば終わるから、と最小限の説明だけしてその場を去るのでした。


さて、ここからが本題です。そんな人格入れ替わりが原因で、深く悩むようになる登場人物がありました。永瀬伊織です、ここでは彼女が抱く苦悩について触れることにします。

以下は、永瀬伊織が苦悩を告白するシーンについてです。それは永瀬伊織と青木義文の人格が入れ替わっているときでした。太一と青木(永瀬)はプラットホームで電車を待っているとき、永瀬は突然太一に切り出すのでした。


伊織:「ここで、永瀬伊織から太一へのクエスチョンターーイム♪」

太一:「なんだよ?」

伊織:「私たちは暗黙のうちに、魂とか意識とか人格というものでもって私たちは私たちたりえる、と判断しています。それは今、青木の体に永瀬伊織の魂が込められているこの存在を、永瀬伊織として認める、ということです。ですがその魂や人格と呼ばれるものは、触れることも視認することもできません。ですから普段の我々は、体でもってその人物がその人物であると判断しています。つまり体というものは我々にとって絶対の拠り所となるものなのです。しかし、その体がたとえば`人格入れ替わり`などで曖昧なものになってしまったら、我々は我々として存在し続けることができるのでしょうか。」

太一:「永瀬?」

伊織:「なんちて♪」 (第2話)


皆さんは伊織の言っていること、どう思いますか?

ここで、伊織の苦悩は「私」がわからなくなった、ということでしょう。

今の状況は、青木の体に伊織の人格が宿っています。この存在はもちろん「伊織」と認識しますよね。そう思って太一もしゃべっています。ということは、「私」というものを体よりも、人格とか魂で判断していることになります。しかし、普段私たちは、「その人」のことを見た目や容貌、すがた・形で判断しますよね。人格とかって目に見えませんからわからないですよね。

だからというものは、私の存在を決めるのに非常に大きな要素であることがわかります。しかし、今の状況はその大きな拠り所である自分の体が、自分のもとから離れてしまっているのです。

そこで伊織は、「一体、体から離れてしまった私は何者なのか」「自分とはなんなのか」と自問せずにおれなくなったのでしょう。


さて、これはもちろんアニメの中の話しなのですが、私はとても深いテーマだと思うのです。「人間と生まれて一生の間に、どうしても出会わねばならない人が、一人いる。それは自分自身だ」といわれます。簡単なようで、実は簡単じゃない?自分自身を知るって私たちの想像よりたいへんなことなのかもしれませんね。

しかも現代は人にあわせ自分自身を見失う人が多いようなのです。20世紀を代表するドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは「自分自身を見失うというあまりにも恐ろしいことが、現在ではいとも簡単になされている」と自分自身を見失うということに警鐘を鳴らしています。


もちろん、人格入れ替わりは現実には起こったりしませんが、皆さん「私」「この自分」とは一体、何だと思いますか?


人に流されることの多い私、本当は何がしたいのだろう。人に影響され、あわせてばかり。自分自身をつよく持ちたい。そもそも自分ってなに?

そんなこと考えたことはありませんか?実はこの問い、昔も今も変わらない私たち一人一人にとって大切なテーマなのです♪

もうちょっと、深掘りしたいのですが今回はこのへんで。また次の記事で続きを書いていきたいと思います(^^)/