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【旧細菌検査室】野口英世の躍進への第一歩 〜ペスト菌の横浜上陸を阻止〜

2022.06.25 17:27


こんにちは、かなざわぐるみ編集部員のトオヤです。


新型コロナウイルスの流行が始まって2年余りが経ちました。

思い返すと、集団感染が初めて国内で確認されたのは横浜港に停泊していた客船でした。実は、明治期にも横浜沿岸は疫病の危機に晒されたことがありました。

今回は、横浜沿岸での細菌との戦いの舞台であり、野口英世ゆかりの地である旧細菌検査所を紹介します。


【野口英世と横浜検疫所】

明治32年(1899年)、ペスト菌が世界的に猛威を振るっていた時代、検疫所に勤務していた野口英世は横浜に入港しようとしていた「亜米利加丸」の乗員から、日本における初のペスト患者発見、隔離という成果をあげました。

当時このニュースは、新聞でも取り上げられ大きな注目を集めました。その功績により、師である北里柴三郎からの推薦を受けて、ペストで深刻な被害を受けていた清国・牛荘(ニューチャン)に派遣されることとなります。

翌明治33年(1900年)、伝染病研究所勤務時代の教授であるシモン・フレキスナー博士を頼って渡米し、以降医学者として世界的に評価されることになる野口英世ですが、横浜検疫所での功績は彼が飛躍する大きなキッカケとなりました。


【旧細菌検査室について】

旧細菌検査室は、明治28年(1895年)に建てられましたが、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊、その翌年再建されたものです。

当時使われていた器具類や野口英世に関する資料が展示されている施設で、野口英世ゆかりの研究室として現存するのは国内で唯一ここだけです。

(旧細菌検査室)


この建物は、昭和24年(1949年)新たに細菌検査所が建設されたことで試験動物舎として転用され、さらに昭和27年(1952年)に横浜市中区に横浜検疫所の新庁舎が完成したことで、次第に使われなくなり老朽化が進んでいました。

しかし、市民の間で保存を望む声が高まり、市や関係行政を巻き込んで本格的な保存運動が行われるようになりました。その結果、平成9年(1997年)に一般公開することができるようになりました。

(動物実験室:実験動物の飼育管理を行う部屋)


(準備室:培養基を作ったり、器材の滅菌・消毒をしたりする部屋)


【まとめ】

能見台駅から15分ほど歩くと緑の中にひっそりと佇む旧細菌検査所が現れます。小さな建物ですが、この建物で野口博士が当時世界で最も恐れられていた疫病から横浜を救ったのだと考えると、簡単には語りきれない物語が詰まっていると感じました。

現在、新型コロナウイルスの流行により多くの人が被害を受けていますが、今この瞬間にも、当時の野口博士のようにウイルスと戦ってくれている人がいるのだと考えさせられました。

施設は無料で見学することができるのでみなさんも是非足を運んでみてください。


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