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ドロレスの死によせて

2018.01.17 03:19

イングランドのロックバンドであるクランベリーズのボーカル、ドロレス・オリオーダンさんの訃報が昨日、ニュースに流れた。

46歳だったと言う。


遠い遠い記憶が甦る。

22年前の1996年5月、私はクランベリーズのライブに行っていた。

人生で初めてのライブであった。


当時の私には肩書きがなかった。

学生ではなく、定職にもついていなかった。

日々ギャンブルで時間を潰し、それで金がなくなるとコンビニエンスストアに出荷する商品の配送工場で荷分けのアルバイトなどをしながら、日々を鬱屈した気持ちで過ごしていた。

世界を悲観していた、というよりは、きっと自分自身に対し絶望していたのだろう。

そして、その凝り固まった怨みのようなものを文学に込めていたが、読む者は誰もいなかった。(今もいないが)

そしてこの厭世的ムードは私という個人に限らず日本という社会全体を包んでいたようにも思う。

その前年の年初めには阪神で大地震があり、休まる暇なく3月に地下鉄でサリンが撒かれるという事件が起きている。

有一明るいニュースとして記憶にあるのはwindows95が発売されたことで、これにより日本でもインターネットが爆発的に普及していくことになる。

というわけで、1996年という年は、傷だらけの日本という国にとって向かうべき方向が分からず、個人個人が生き方に迷っていた時代であったように感じている。


そんな折にクランベリーズはワールドツワーの道中で日本でライブをすることになったのだった。

クランベリーズはよく日本に来てくれたと思う。

記憶するかぎり、それ以来クランベリーズは来日していないのである。

疑問なのは、私はどのようにしてクランベリーズのライブを知ったのだろうか。

当時はまだ携帯電話というものは普及していない。

人々の情報伝達手段はポケベルが主流で、一般人がPHSという遺物を手にしだすのは翌年からである。

もちろん我が家にインターネット回線などあるはずもなく(当時のインターネットはアナログ回線による従量制か、高額であるが特殊な定額の回線を引くしかなかった)、イギリスチャートを紹介するBeat UKのテレビ放送も数年前に終了している。

当時はアイルランドに対し特別な興味をもっていたわけでもなく、ケルトの音楽を好んで聴いていたわけでもなかった。

たまたま入った本屋でたまたま見た何かの雑誌にクランベリーズの来日記事を見つけたのだろう。

普段なら行くことのない音楽のライブになぜか出かけ、そうして私はドロレスという人間を知ったのだった。

ライブの模様を言葉で表現することは、今の私にはできない。

あの興奮は、そこにいたものでしか分からない、と言ってしまったら文学の放棄になってしまうが、そう表現するしかないほど私にとって衝撃であった。

ドロレスが歌う「ゾンビ」に魂が焼かれた。

ドロレスが歌う「ドリーム」に魂が震えた。

ライブの終演でドロレスが客席に放ったブーツの軌道は、今でも鮮明に覚えている。

あのブーツを手にした者は今は何をしているのだろうか。

ライブから帰り私は生活を改め、その日暮らしから脱却することを決意したのだった。

私はクランベリーズのライブにより、よりよく生きるという道を選んだのある。


ドロレス・オリオーダンさんのご冥福をお祈り致します。