第1回十字軍23二代目王ボードワン2世死す
2018.01.17 07:07
ザンギーは税金をかけて、強大な軍をつくり、優秀な軍事顧問団をつくり、厳しい軍規をしいた。他のイスラム領主のように、ぜいたくにおぼれず、戦場を飛び回り、わらの上で眠ったと伝えられる。アレッポ領主の未亡人を妻とし、自分の父の遺骸をアレッポに埋めて民心をつかんだ。
シリアの他方の中心ダマスカスは、十字軍の攻撃をかろうじて防いでいたが、太守ブーリと宰相マズザガーニの間で権力争いをやっていた。1129年ブーリは朝議のあと、ダマスカスを十字軍に渡す陰謀を企てたとして宰相を刺殺。これに暗殺教団も加わったとして街に粛清の嵐が吹いた。
ブーリは権力を掌握し、同年グータの戦いで十字軍に大勝利を収めた。しかし十字軍よりもダマスカス支配を狙うザンギーは、1130年ダマスカス領地であったハマーを騙し打ちで奪取する。
そして1131年、エルサレム王国ではボードワン2世が崩御した。彼には4人の娘が居たが、息子が居なかったため、長女メリゼンダが相続し、フランス王の推薦でアンジュー伯フルクと結婚し、共同統治が決まった。しかしフルクはよそ者で、団結はうまくとれず、夫婦仲も良くなく、メリゼンダには愛人の噂がつきまとった。
下はボードワン2世