これじゃなくてもいい、と思ったところからこれじゃなきゃダメだ、が始まる気がする。
27の時に、周りへの既成事実つくりも含めて『音楽やめる』宣言をした。
その当時雇ってくれる会社が見つかり、その会社は割とそういう業界が近くて、頑張っている人達の助力になることで、間接的にずっと自分が抱いていた『音楽で成就したい』思いを叶えられるような気がして、そう決めた。
他にも新卒早くから転職を繰り返した僕みたいな奴が世の中をいわゆる『まともに』わたろうとするならば、最大風速でトバしきる、突き抜けた奴が売れるか売れないかの領域で勝負できる期間に居られているという勘違いは早めに無くして、世間とは何か、みたいなものをしっかり学ぶ時間を設けないといけないという思いもあったからだ。
事実、ステージをやることからは遠ざかり、公私共に裏方の道を歩んでいたのだが、会社を辞め、病気で自分の時計を止めていたとき、心に去来したのは音楽やりたいな、の思いだった。
僕が例えば思春期の頃に、ものすごくサッカーが上手かったら、そのまま頑張ってサッカー選手を目指す考えだったかもしれないし、服に興味があったら、服飾やアパレルやスタイリストを目指したかもしれない。
思春期の頃に出会ったのが、消去法か偶然かは解らないけど、結果的に音楽に出会い、俺はこれでやっていく、これしかないと言う風に思えた事もあった。
ただ、プロ選手や一流ストアの販売員になるためには、ある程度の明確な技術や指標が必要(どこどこを卒業とか、なに大会で何位とか)なので、結果を幾分か可視化しやすいところもあるけど、こと音楽に関してはやる方も受けとる方も全て最終的には感性の問題になるので、逆に言えばリミットもないし、取り組もうと思えばどこまででもやることが出来るので、それが自分が判断を下す際のひとつの甘えとして機能する場合もあるかもしれないし、そこが世間が社会人サッカーチームを見たときと、社会人バンドを見たときの視線の違いかもしれない。
そう、この甘えというものにはなかなかリミッターを設けることが難しく、下手をしたら、例えば『音楽を目指すためにアルバイトで頑張っている』のか、『音楽を目指すという理由に甘んじてアルバイトをしている』のか、解らなくなったり逆転してしまう可能性も十分に孕んでおり、それが嫌だったが故の、冒頭の音楽やめる宣言にも繋がっていたのだ。
でも、『これじゃなくていい』を少しでも体感出来たことと、機能したくても機能できなかった時間の存在というものが、気持ちをおおらかにさせてくれたのは事実である。
『これしかない』の世界にいるとどうしても盲目がちになるし、つまり誰かと競う事を宿命付けられる。
感性で勝負しようと思ったとしても、感性の発揮は、本来競争する事が前提ではないのだ。
これじゃなくていいと思ったことで、逆に言えば、俺にしか、俺らにしか、出来ないことを探していこうと考える気になれる。その結果いいものが出来て、何か良いことが起こったときに、いろいろなしがらみにそれほど苦心することなく、転がっていく顛末に身を委ねる事も出来ると思う。何故ならば、リミットがないのだから。
あとは問題は、いかにリタイアしないか、である。
短距離からマラソンへと種目変更が起こっただけだ。
多少なりとも積み重ねた年輪と、短距離で走っていた時の感受性をキープしつつ、長い長い『道』をひた走っていくのだ。
時に仕事も、家庭も、大事にしながら。
死ぬまで音楽やりたいね。
おれにはそれしかない。