フュージョン!なニューオリンズ
クルーズ旅行から帰ってきたら間髪入れずに、2泊3日でニューオーリンズに行ってきました。ニューオリンズはアトランタからは飛行機で1.5時間、フライトがかなり遅延するというトラブルがありましたが、時差が1時間戻るのでちょっと許せるような気に。
相変わらずアメリカ観光よりも中南米派の私ですが、母たってのリクエストで選んだニューオーリンズを思いの外気に入ってしまい、大満足の旅行となりました。アメリカにしては歴史や文化に富んだところで、見どころもたっぷり。アメリカの京都のような存在なのか、アメリカ人の国内旅行者も多く、クリスマスの休暇の時期とも相まってどこもすごい人出でした。レストランなんか、ちょっと人気のところはすごい行列。名物のバーボンストリートは行列だらけでした。
ニューオーリンズと聞いてまず誰もがイメージするのはジャズではないでしょうか。ジャズは西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせで生まれた音楽であり、ニューオリンズはジャズの発祥の地なのです。ということで、1日目はジャズを聴かせるバーに行ってきました。ほんとは街で一番人気のプリザベーションホールというところに行きたかったのですが、ものすごい行列で断念。寒くて雨も降ってたのですが、みんな1時間くらい待ってたんじゃないかな。
もう一つ目を付けていた近くのバーに行ってみると、ちょうど初老の黒人男性がメインパーソナリティーを務めるジャズバンドが演奏をしていました。この人たちがものすごくやる気がなさそうに見えて(自分が弾かないときは寝てるように見えた)、しかも上手なのか下手なのかよく分からなかったんだけど(多分下手)、不思議と一生懸命聞いてしまいました。あの公民権運動の凄まじい時代を生き抜いてきた人たちなんだなぁと思うと何だか感慨深い気持ちになったり。特に南部は差別が根深い地域でしたが、その中で運動を起こし、いまは(ある程度)差別のない世界になり、この現代は彼らの目にはどういう風に映ってるんだろうか、と思うと、ただの聞き流すような音楽には聞こえませんでした。
恥ずかしながらニューオーリンズと言えば、ジャズとしか知りませんでしたが、行くと決めてから色々調べてみると、フランス植民地時代の面影を色濃く残した街でした。そういえば、街の中心地はフレンチクオーターと言うし、メインストリートはバーボンストリート。バーボンってフランス語の「ブルボン」の英語読みですね。アメリカは17世紀以降ヨーロッパ各国がこぞって入植していましたが、フランスもアメリカを開拓した国の一つ。ニューオリンズはフランス人によって1722年に建国されたそうです(ちなみに建国者はオルレアン公フィリップ2世、ニューオリンズとは新しいオルレアンという意味)。その後一瞬スペイン領になりますが、再度フランス領となり、最終的にはナポレオンの時代に財政難によりアメリカに売却されました。お土産屋さんに入ってもフランス風の雑貨が多く、フランスびいきの私としてはショッピングを楽しめました。アメリカ雑貨はあまり買う気にならないんですが、フランス雑貨はやはり繊細でセンスもいいです。
ニューオリンズの郷土料理もフランスの影響を受けた一つ。ニューオリンズではクレオール料理とかケイジャン料理というのが有名で、沢山のレストランがあります。クレオールとはアメリカ南部に最初に入植したフランス人やスペイン人の子孫のこと。ヨーロッパ人と先住民の混血のことも意味しますが、ここでは前者。入植当時、ニューオリンズではアフリカから連れてこられた奴隷が料理を作っていましたが、作らせたのは支配階級であったヨーロッパ人。アメリカ南部にある食材で、フランス人・スペイン人の指示を受けながらアフリカ奴隷が作った料理がクレオール料理という訳です。
そしてもう一つがケイジャン料理。ケイジャンとはカナダの南部(アカディア)に移住してきたフランス人の祖先を指します。彼らは英国人にアカディアを追われ、ミシシッピ川をつたってニューオリンズにやってきたそう。フランス流の料理法で地元ニューオリンズの食材を使って料理したものがケイジャン料理。クレオール料理とケイジャン料理の区別はかなり曖昧ですが、クレオール料理が支配階級の洗練された料理、ケイジャン料理が労働者が好むような素朴な料理だそう。実際、今回気に入って2回も注文したガンボというスープはクレオール料理ともケイジャン料理とも言われていますので、今となっては一緒になってしまっています。
<ガンボスープ。魚介またはチキンのベースのどろりとしたスープ。ガンボとは西アフリカでオクラのこと。ニューオリンズでは湿度が高過ぎて小麦が育たなかったため、米を入れて食べます>
<クローフィッシュのエトフェ:ザリガニのシチュー
こちらもすごく気に入って2回も食べました。ザリガニと言ってもエビのだしのような味です。ニューオリンズは湿地帯が多いので、ザリガニがよくとれるのです。>
ニューオリンズでちゃんとご飯を食べれたのは中日の昼と夜だけ。昼はプランテーションのレストランで、夜は市街地の結構ちゃんとしたレストランで。特に夜の方は私たちにしてはいいお値段でしたが、フランス風なのでしょうがない。なんだかヨーロッパのちょっと気取った上品なレストランを思い出して懐かしくなりました。アメリカでこういうヨーロッパ風のレストランってなかなかないので。
ニューオリンズの郷土料理について調べていたら、アメリカの歴史に少しずつ興味が沸いてきました。あんなにアメリカなんて興味がなかったのに。ということで、ジョージアテック大学で、アメリカの歴史についてのコースを取ることにしました(外国人用の英語コースの一環ですが)。アメリカの歴史は17世紀くらいから始まります(やっぱり浅い!)。いまは最初の植民地について勉強しているところ。
そしてもう一つ、最後にご紹介。あの小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンが実は日本に来る前ニューオリンズに10年間住んでいたそう。彼は生涯唯一のレシピ本としてクレオール料理読本というのを書いています。それがこちら↓
私は司馬遼太郎のアイルランド紀行を読んでから小泉八雲が好きで、勝手に親近感を覚えていたので(彼のゆかりの場所はぜんぶ好きな場所なので……かくいう私の育ちはハーンの愛した松江なのです!)、この本もつい購入。彼がどんな風にニューオリンズの料理を表現しているのか読むのがとても楽しみです。