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粋なカエサル

「つかみ、包み、連れ去る」

2018.01.18 01:12

 ルノワールを理解するキーワードの一つは「職人(アルティザン)」。印象派の仲間たちがブルジョワ出身だったのに対し、ルノワールの両親は職人だった。父レオナールは仕立屋、母マルグリットは婦人服のお針子。彼は生活のため、13歳で磁器絵付け職人の見習いになる。1日6フラン(6千円)稼げる陶器画家になるのを夢見ていたが、産業革命の波がその夢を打ち砕く。技術革新、工業化によって、陶器や磁器に絵を印刷する技術ができるようになり大量生産が可能になったことで、ルノワールは職を失ってしまったのだ。ルノワールは終生、そのような機械に対する嫌悪を語り続け、メチエ(手仕事)への愛着を持ち続けた。また、抽象的、観念的な議論も好まなかった。バティニョール街の「カフェ・ゲルボワ」にモネ、シスレー、セザンヌ、ピサロら若い画家たちが毎晩のように集い、熱い議論をたたかわせていた時も、ルノワールは発言は少なく、みんなの話に耳を傾けていることが多かった。後年ルノワールはアメリカの画家兼批評家のウォルター・バッチにこう語った。

「芸術の本質に関するぼくの考えを言ってあげましょうか?それはまず言葉で説明できないということ、そして模倣は不可能だということ、この二つです。・・・芸術作品であるならば、それはあなたをつかみ、あなたを包み、あなたを連れ去っていくべきです。作品は芸術家にとって情熱の表現手段であり、自分の内部から湧き上がり、観る者を運んでいく流れなのであります。」

 ルノワールには、「芸術家(アルティスト)」より「職人(アルティザン)」のほうが似つかわしいと思う。

(ルノワールの肖像【34歳頃】)

(1867年 バジール「ルノワールの肖像」オルセー美術館)

(ファンタン=ラトゥール「バティニョール地区のアトリエ」オルセー美術館)

カンヴァスに向かうマネの右隣に立っているのがルノワール。おとなしくマネの作品を見つめている。

(1890年頃 ルノワール「野原で花を摘む娘たち」 ボストン美術館)

ルノワールらしい穏やかな幸福感で満たされた作品