季語が合歓の花の句
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花合歓や凪とは横に走る瑠璃
中村草田男
合歓(ねむ)の花を透かして、凪(な)いだ瑠璃(るり)色の海を見ている。合歓が咲いているのだから、夕景だ。刷毛ではいたような繊細な合歓の花(この部分は雄しべ)と力強く「横に走る」海との対比の妙。色彩感覚も素晴らしい。海辺で咲く合歓を見たことはないが、本当に見えるような気がする。田舎にいたころ、学校に通う道の川畔に一本だけ合歓の木があって、どちらかというと、小さな葉っぱのほうが好きだった。花よりも、もっと繊細な感じがする。暗くなると眠る神秘性にも魅かれていた。眠るのは、葉の付け根の細胞の水分が少なくなるからだそうだ。ところで合歓というと、芭蕉の「象潟や雨に西施がねぶの花」が名高い。夜に咲き昼つぽむ花に、芭蕉は非運の美女を象徴させたわけだ。しかし、この句があまりにも有名であるがために、後に合歓を詠む俳人は苦労することになった。それこそ草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」が、同じ季題で詠むときの邪魔(笑)になるように……。合歓句に女性を登場させたり連想を持ち込むと、もうそれだけで芭蕉の勝ちになる。ましてや「象潟(きさがた)」なる地名を詠むなどはとんでもない。だから、懸命にそこを避けて通るか、あるいは開き直って「象潟やけふの雨降る合歓の花」(細川加賀)とやっちまうか。そこで遂に業を煮やした安住敦は、怒りを込めて一句ひねった。すなわち「合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず」と。三百年前の男への面当てである。『中村草田男全集』(みすず書房)所収。(清水哲男)
路頭とはたたずむところ合歓の花
坪内稔典
季語は「合歓(ねむ)の花」で夏。夜になると葉を閉じるので「眠」と付いたそうだ。子供のころ、学校への道の途中の川っぷちにあつて、不思議な木があるものだと思っていた。故郷を離れてからは、一度も見た記憶はなく、それでも花の様子は鮮明に思い出せる。いまごろは、もう咲いているだろう。作者は旅行先で合歓に出会い、しばらくたたずんで眺めた。そして、ふっと気がついた。そうか「路頭」とは、こうしてたたずむところでもあったのだ。都会の道のように、ただせかせかと歩くだけが路頭じゃない。作者は日本一せかせかと歩く人が多いと言われる大阪住まいだけに、痛切にそう感じたのだろう。現代ならではの句だ。実際、東京あたりでも、なかなかたたずめるような道はない。たたずむことができるのは、信号待ちのときくらいだ。下手に立ち止まったりしたら、突き飛ばされかねない。それに、合歓なんてどこにも生えてない。すなわち、たたずむに値するだけの対象物もないのである。ひたすら道は歩くため、車で移動するためだけにあるのであって、別の目的で使用したりすると、たちまち道交法に引っ掛かってしまう。いまにきっと、みだりに立ち止まっちゃならぬという一項が追加されるだろう。いや、既に集団に対してはそうした条項があるも同然だ。だから、掲句が発禁になるのも間近い。と、いまは冗談ですむけれど、いつまでこの冗談がもつだろうか。路頭は変わった。それこそ路頭が「路頭に迷っている」。「俳句研究」(2002年8月号)所載。(清水哲男)
肉の傷肌に消えゆくねむの花
鳥居真里子
傷が自然に治癒していく様子、といってしまえばそれまでのことが、作者の手に触れると途端に謎めく。血の流れていた傷口がふさがり、乾き、徐々に姿を変え、傷痕さえ残さず元の肌に戻ることを掲句は早送りで想像させ、それはわずかにSF的な映像でもある。外側から消えてしまった傷は一体どこへいくのだろう。身体の奥のどこかに傷の蔵のような場所があって、生まれてから今までの傷が大事にしまい込まれているのかもしれない。一番下にしまわれている最初の傷は何だったのだろう。眠りに落ちるわずかの間に、傷の行方を考える。夜になると眠るように葉が閉じる合歓の木は、その名の通り眠りをいざなう薬にもなるという。習性と効用の不思議な一致。同じ句集にある〈陽炎や母といふ字に水平線〉も、今までごく当然と思っていたものごとが、実は作者の作品のために用意された仕掛けでもあるかのようなかたちになる。これから母の字の最後の一画を引く都度、丁寧に水平線を引く気持ちになることだろう。明日は母の誕生日だ。〈幽霊図巻けば棒なり秋の昼〉〈鶴眠るころか蝋燭より泪〉『月の茗荷』(2008)所収。(土肥あき子)
虹飛んで来たるかといふ合歓の花
細見綾子
作者はこう書いている。「私は女であるためか、合歓を見ても美人などは連想しない。夢とか、虹とか、そんなものを思い浮かべる。合歓は明るくて、暗い雨の日でも灯るように咲く。合歓が咲くと、その場所が好きになるのだった」以前にも一句引いた句文集『武蔵野歳時記』(1996)は、何度読んでもしみじみ良い。読ませる、とか、巧みという文章ではないのだと思うが、正直で衒いのない書きぶりと、その感性に惹きつけられる。合歓の花を見る、微妙な色合いが美しいなと思う、ここまでは皆同じだが、たいてい、この美しさをどう詠もう、と考えて、そこに美人が出てきたりするわけだが、この作者は即座に、まるで虹が飛んできたようだわ、と思ってそれがぱっと句になる。そして読者は、合歓の花の優しい色合いと、それが咲いていた彼の地を静かに思い出すのだ。(今井肖子)
合歓の花老いても老いても母なりし
岸波征美子
合歓(ねむ)は、シダのように平たく開いた葉が、夕暮れになるとぴたりと閉じ、葉の気配をまるでなくしてしまう不思議な木である。一方、ブラシの先がふんわりと色づくような花は眠ることなく、夜の間も甘い香りを放ち続ける。光ある間の疲れを癒すように眠る葉と、取り残されるように漂う香りに、作者は老いた母の姿を思う。私事になるが、先月静岡に暮らす母が転倒した拍子に膝を骨折した。約三ヶ月の入院生活が強いられることとなり、だいぶ意気消沈している様子に、このところ以前よりも多く会いに戻っている。先日は私が13歳の夏休みに川へ自転車ごと落ちたときの話しになった。このとき幸い骨折はしなかったものの、私の膝には今も醜い傷が残る。「あんたは昔っからそそっかしかった」と言ってから、現在自分の置かれた状況に気づいて笑い合った。母との話題は、会うたびに過去へとさかのぼる。お互いこれからのことは怖くて触れられないのかもしれない。掲句では中七のリフレインが、これから重ねる月日の長からんことを切に祈る気持ちにも触れる。そして娘もまた、生涯娘なのである。折々で「あの時の母の年齢になったのだ」と、ときには驚愕しながら生きていく。母は今日、76歳になった。『合歓の花』(2013)所収。(土肥あき子)
大渦へ巻き込む小渦春かもめ
山内美代子
かもめ(鷗)が少し春めいてきた海に遊んでいる。人の肌にはまだまだ寒い海風だが野生の鳥たちは羽毛に包まれて平然と群れ遊んでいる。人の眼には遊んでいると見えるけれど本当は生きるための厳しい生業の中にあるのかも知れない。小さな渦に狙った餌が巻き込まれその渦も大きな渦に吸い込まれてゆく。鷗の餌の追走は果たせるだろうか。人の目にひねもすのたりのたりに見える春の海だが、野生のものにとっては厳しい現実がある春先の海ではある。作者は事の成り行きを見守って佇んでいる。趣あるこの墨彩画と俳句集には他に<定年や少しあみだに冬帽子><雲雀笛園児揃ひの黄の帽子><折り合ひをつけて暮して合歓の花>など生活に詩情が溢れた作品が並ぶ。「藤が丘から」(2015年)所載。(藤嶋 務)