“抜く”ところまで
「疲れが抜けない」などと言いますが、“抜く”という感覚や意識をお持ちでしょうか。
いのちには、肉体という物質的な面とエネルギー的な面があります。
物質とエネルギーは一体化していて分けられません。
疲れや痛みを和らげようと、力でもみほぐしただけでは、一時的に緩んでも老廃エネルギーは滞留したままです。
それはまた不具合の素になったり、揉み返しやだるさを生むかもしれません。
不要なエネルギーを排出することが大切だと思っています。
電池と同じで、まず放電(排出)。
それから、新鮮なエネルギーにリフレッシュです。
私のケアは、ほぐしては抜く、ほぐしては抜く、をしています。
疲労の気配、老廃エネルギー、霊的なもの…。
さすったりしぼったり扇いだりするのは、“抜く”ためでもあるのです。
肉体から外へ、保護膜から外へ、地球から宇宙へ、排出していくイメージです。
面映ゆいですが、愛と感謝がベースだと思っています。
我でやってしまうと、抜いたものは自分や身近な人に戻ってくるかもしれません。
いわゆる“受ける”という現象。
それでは困りますものね。
では、自分で“抜く”ためにできること。
お風呂やシャワー、いいですね。
老廃物が流れ落ちるのと一緒に、老廃エネルギーも排出されていきます。
特に、今のような蒸し暑い季節は、汗も蒸発しにくく、排出が滞りがち。
洗い流すことは大切だと思います。
“抜く”ケアポイントとしては、足の裏を大切にしています。
要らないものが排出されるように。
必要なものが取り入れられるように。
入っては困るものが入ってこないように。
足の裏の弁のような働きに感謝を込めてグーで擦ります。
あとは、腕を絞ったり。
頭のてっぺんを扇いだり…それはまた少し先の話かな。
洗濯だって、洗剤で揉んで汚れを浮かせたら終わりではないですね。
すすいで脱水するはずです。
ケアも、もみほぐしや体内循環で終わらずに、“抜く”ところまで意識を持って大切にしていただきたいと思います。
抜けたものが還る先への感謝を忘れずに。
余談ですが、私の「ほぐしては抜く」イメージは、服のタグ取りに似ています。
まず、長いところを切る。
それだけだとチクチク痛いときがあるので、縫いこまれて服に一体化したところを少しずつほぐしては抜く…。
無理やり取ろうとしても取れないし、縫い目が傷んでしまいます。
根気強くちょっと構ってやる必要がある、そんな感じです。
抜けたときの達成感、好きです。