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Tahara Koji/Works,Photo,Idea..

2018/01/19 猫のこと。

2018.01.19 15:25

今日、仕事から帰ってきたら、

「猫が、死んでる・・」

と、妻が僕に。

おいおい・・と思い見に行くと、たしかに、猫が死んでいる。

おかしなことを言うと思われるかもしれないが、その骸を見て

「ウチの猫、だったかもしれない」 と思った。

「ウチの猫、じゃなかったかも」ともまた同時に思った。


今現在、ウチには約10数匹の猫がいる。

その「約」って言うのは、ウチの猫だった猫が何年か経つといなくなり

また時々なにもなかったかのように戻ってきたりするので、つまり、その

あれだ。流動的な数なわけなんだな。

いなくなって戻ってくるのはまだマシな方で、コネコが生まれてもまずまずの割合で

死んでしまったりする。おまけにオマエは誰や?みたいなのもよくウチにやってくる。

この境界線は、どこに引けばいのだろうと少し頭を悩ませる。


そして、昨年の春はいったいどうなるか?と目眩がするほど数匹の猫の出産で猫頭数が

一気に増えたのだが、キャパシティというものがあるのかないのか、不思議なことに

いつの間にか気づけばまた、いつもの10頭くらいの数に落ち着いている。


思うに。

世に愛猫家という方々がいらっしゃるし、それよりもまず猫好きな方も多かろう。

それらの方から見ると、ウチなんかは実に好ましくない猫飼いの家なのかもしれない。


猫と暮らしはじめて約40年。最初でこそ猫の死には涙して気も狂わんばかりだったのだけれど、僕も妻もなんだかそこはもういつしか通り過ぎていったような気がするのだ。


今日発見した猫、そう、死んだ猫を見ても僕の感情の針はピクリとも憐憫、悲壮、好悪の方に

向くことはなかった。実に淡々とした気持ちで、死因を探り、庭に穴を掘り、埋めたのだった。

死んだ猫は、埋める。

埋めるけど、またきっと春には新しい猫が生まれてくる。

この気持ちをどう記せばいいのかと頭の中に文字を転がしてみるのだけれど、そうだな、猫は、僕らにとって猫はもう植物みたいに感じているとでも書いておこうか。

数は増えたり減ったりする。しかし庭の草木の1年サイクルの成長のように芽吹き、枯れていっても、その存在事実、猫の魂は変わらないとでも言っておこうか。


ウチの猫もなんというのか、大きな存在としての『猫』なのであって、もちろん1匹1匹はかわいがるものの、生き死にひっくるめて少し俯瞰した感じで僕らは猫を見ている気がするんだ。

そうやって、共存してる感じ。

良いか悪いかわからないけれど関係無し。

ウチはそうやって暮らしているんだ。