「宇田川源流」 今回の参議院議員選挙は「無風だ」という人々の「政治無知」
「宇田川源流」 今回の参議院議員選挙は「無風だ」という人々の「政治無知」
一応参議院議員選挙なので、元なのか現在なのか徐々に区別がつかなくなっている政治ジャーナリストが、故人のブログを書いているの、一応それについて触れておかなければならないのではないかと思っている。しかし、そもそもあまり触れるとことがないばかりか、巷では「無風」などといわれているので、簡単にかくわけにもいかないので、すこし専門的な書き方をしなければならないのではないか。
さて、その前に、この参議院議員選挙に関しては、7月の「陰謀渦巻く世界の中であなたが生き残る方法」というオンラインサロン(https://lounge.dmm.com/detail/2838/)臭いて詳しく書くことになるのでその内容の中で詳しい部分は、7月10日以降の話に関しては全てそちらに譲ることにしたい。
そのうえで、現時点、つまり6月22日から選挙戦が始まったのであるが、そのことを触れるようにしなければならないのではないかという気がしているのである。要するに、オンラインサロンに書くことのイントロを、まあ、この辺に書いておいて、その内容の詳しいことは、後にしっかりと譲ろうと思うのである。
ということで、選挙戦を見てみると、まあ、いくつか今までも読み違いがあるのではあるが、多分、自民党は60議席に届かないのではないかという気がするのである。公明党と合わて75~77というところがやっとではないかなという気がする。少し前までは、自民党64議席というような数字が始まっていたのであるが、しかし、そこまで選挙戦は甘くないということになる。
では何が変わったのであろうか。
単純に「雰囲気」が変わったということであり、同時に、政治というのは、本来「雰囲気」で左右されないように、しっかりとした政治を「実行」しなけれならないということなのであるが、残念ながら、自民党というよりは、「岸田内閣」は「雰囲気で流されるような仕事」しかしていないのではないかということになる。いや、そのような結果しか残していないし、そのような結果が全てというようになっていたのではないかという気がするのである。その為に雰囲気が変わったので、その為に最高の支持率を維持できなくなってしまったということになるのではないか。
まあ、そもそも64議席などという予想が出れば、自民党の陣営にはすべて「ゆるみ」が出てしまい、その「ゆるみ」の結果、徐々に支持率が落ちて行ってしまう。その内容が出ているというような話もある。しかし、どうもそれだけでは無い深刻な問題があるのではないか。
参院選「無風」の理由はリアリズムの誕生か、深刻すぎる余裕のなさか?
(この記事は6月20日発売の『週刊プレイボーイ27号』に掲載されたものです)
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本号発売の直後には参議院選挙が公示されますが、普段にも増して盛り上がりを感じません。コロナが落ち着いてきたからだとか、野党に元気がないからだとか、いろいろな事象が絡み合ってのことなのでしょうが、私の中には、日本社会において"大きな物語"が求心力を失っているのではないかという仮説があります。
その理由のひとつは、やはりロシアのウクライナ侵攻という冷酷な現実を目の当たりにしたことでしょう。
以前から指摘されていた中国の台湾侵攻の可能性もより具体的にイメージされるようになり、防衛費の大幅増を「まあ、そうなるよね」と受け止める人、あるいは「日本は平和憲法の特別な国」といったイデオロギー優先の"大きな物語"に違和感を覚える人は明らかに増えた。
その是非はともかく、この流れは憲法改正問題や沖縄の米軍基地問題に波及していく可能性もあります。
原発についても同様です。資源大国ロシアの暴挙によって世界のエネルギー事情は激変しました。そんななかでも原発再稼働を検討することさえなく、綱渡りの電力供給を続けることへの疑問の声は、少しずつ、しかし明らかに大きくなっていると感じます。
もしこの夏、電力危機を理由にどこかの原発でなし崩し的に再稼働が始まっても、「原発は人類が生んだ悪である」という"大きな物語"が10年前のように広がったり、当時ほどの大規模なデモが起きたりしそうな雰囲気はありません。
また、右派の"物語"も消失しつつあります。象徴的だったのが東京五輪に対する冷めた反応です。コロナ禍での開催だったという事情を差し引いても、20年前のサッカーW杯の頃と比べて「日本はすごい」「感動をありがとう」などと共鳴する人は減りました。
五輪の記録映画も動員に苦戦しているようですが、ナショナリズムで自分たちの生活が豊かになることなどないと多くの人が気づいているのかもしれません。
こうした潮流を好意的に解釈すれば、旧来の価値観が徐々に退場し、現実をシビアに見る世代が増え、日本にもリアリズムが誕生しつつあるとの見方もできるでしょう。保守vs革新という"大きな物語"を前提とするパラダイムが機能不全に陥っているのは明らかなので、現実的な視点が増えることは歓迎できます。
しかし一方で、多くの社会的イシューに対して「憤るより慣れろ」と現状を追認するムードが定着しつつあるとすれば、それはリアリズムというより、「"大きな物語"にリソースを割く余裕すらなくなった」という解釈も成り立ちます。
SNSに飛び交う声を見ても、現役世代の人々には、日々の生活で直面している格差や不平等、上の世代に対する不公平感が充満しているように思えてなりません。そして、そういった根源的なニーズを政治に託すほどの期待感すらなくなってしまったのだとすれば、事態は相当に深刻です。
だからこそ今、日本の政治家には外交的リアリズムだけでなく、「不公平を解消するための現実的な議論」が求められているように思います。
高齢者の票がどうとか、支持母体がどうとか、いろいろと都合はあるのでしょうが、それによって選挙が「無風」になっているのだとすれば、それは本末転倒も甚だしいのではないでしょうか。
2022年06月27日 06時00分 週プレNEWS
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12176-1713986/
上記の記事はモーリー・ロバートソンがかいたものというように報道されている。まあ、政治のすべてを「保守VS革新」という枠組みでとらえ、その「大きな物語」が壊れつつあるので、「無風」というようなことを行っている。しかし、そもそも「大きな枠組み(物語)」が変わるときというのは、逆に無風などになるものではない。元々「対立の構造」がある状況がその対立の構造が無くなった時に、新たに「テロリスト」が増えるということは、東西冷戦後「テロとの戦い」が台頭してきたことでもわかるし、歴史がそのようなことは教えてくれるということになる。同時に、各国が国内において力をためた「胎動期」になり、また、東ヨーロッパはルーマニアの革命や、旧ユーゴスラビアの分裂内戦、チェコスロバキアの内戦、そして旧ソ連国家の独立と、かなり大きな「波紋」があったはずだ。日本という平和な所にいる人々は、その大きいな波紋が来なかっただけで、決して「大きな物語が終わった後に無風になった」などというようなことはない。つまり、「自分の周辺の事だけで物事を語っている」ということに他ならないのである。
では、実際はどのようになっているのか。
岸田内閣に対して「支持率が高かった」ということがある。これは「岸田内閣がやることを何もしなかった」ということであり「何もしなかったことに対して批判がなかった」ということに他ならない。これは菅義偉内閣の時と全く異なる状況であり、菅内閣は様々なことを行った。そのことから、そのやり方が良いとか他の事をすべき、または足りないなど、様々な不満が渦巻き、その結果が菅内閣の倒閣に繋がる。しかし、その結果は、批判を受けながらも、しっかりと機能しており、岸田内閣は何もしない間にも、菅義偉内閣の「遺産」で結果が出ていたということになる。
その時に「聞くけれども何もしない力」という不思議なもてはやし方をしたマスコミに乗せられて、何もしない状況であった。その為に吉川「パパ活」議員によって、雰囲気が変わってしまい「潮目」が変わっても、その内容を押し戻すことができないということになってしまう。
この事は、「保革対立」ではなく「自民党内の岸田おろし圧力」に繋がり、そのまま、「岸田のままでは解散総選挙に勝てない」というような雰囲気を作り出す。一方、ではその時に何かをするということを決めた場合も、今までのような高支持率にはならない。当然に菅義偉内閣の時と同じように何かをやれば反対が出てくるからだ。その時に「何もしない方が支持率が高い」となるのか、あるいは「もっと何かをして挽回するように努力をする」のか、いずれにせよ、その内容が変わってくる。
そして、「保革対立」ではなく、「極右・中道保守・中道左派・極左」というような四者対立が発生しており、それをどのように取り込んでゆくか、得に思考は決まっている者の、支持政党がない30%以上の有権者をどのように盧ちこむかということになる。そのことができないようでは、うまくゆかないのである。
このようにしっかりと見ていれば、様々なものがあり「無風」ではなく「普通に立っていては見えない地吹雪」が吹き荒れているということになるのではないか。その内容を、オンラインサロンにはしっかりと解説しようと思う。