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篠山城蓮

2022.06.29 01:59

http://www.takakurashoten.sakura.ne.jp/castle/kinki/sasayama/sasayama.htm 【篠 山 城】より

丹波の中心に天下普請で築いた城

 所在地:兵庫県篠山市北新町 別  称:桐ヶ城 築城年:慶長14年(1609)

 築城者:徳川家康 形  式:平山城 遺  構:石垣、天守台、堀、井戸

  土塁、馬出、復元大書院 

内堀と石垣

歴 史  丹波一帯は中世から戦国時代にかけて八上城に拠点をおく波多野氏が支配していた。本丸跡の石垣と天守台その波多野氏も織田信長の命を受けた明智光秀に攻められて滅亡した。

 慶長5年(1600)関ケ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康の時代となると、家康は慶長13年(1608)実子の松平康重を常陸笠間城から丹波八上城へ転封させた。そして、家康は翌慶長14年(1609)から豊臣恩顧の西国大名を牽制するため、松平康重に命じて丹波の中心である篠山の地に新たな城を築かせた。これが今に残る篠山城である

 外堀家康の娘婿にあたる姫路城主池田輝政を普請奉行に命じ、縄張りは築城の名人といわれる津城主藤堂高虎があたり、西国15ヵ国23大名が動員された大掛かりな天下普請であった。

 築城工事は総勢8万人という莫大な労働力と財力を投入しての突貫工事の末、1年足らずで完成。松平康重は初代の篠山城主として入城し、八上城は廃城となり篠山城が丹波国支配の中心となった。

 元和5年(1619)松平康重は和泉岸和田に移封され、上野高崎より松平(藤井)信吉が篠山城主となった。その後、松平(藤井)氏2代、松平(形原)氏5代を経て、寛延元年(1748)丹波亀山より青山忠朝が6万石で入封。以後、篠山城は青山氏6代の居城として明治維新を迎える。

一口話  丹波篠山といえばデカンショ節が有名である。江戸時代から歌われていた篠山地方の「みつ節」を変形したもので、歌詞は実に素朴で節は野性味を帯びている。

 デカンショ節が全国に普及したのは、篠山の青年たちと東京一高の学生たちが房州八幡浜(千葉県館山市)で出会ったことがきっかけ。篠山の青年たちが蛮声を張り上げて歌ったデカンショ節を一高の学生たちが聞き、その野性味が気に入り、東京に帰ってからも自由奔放に歌いまくった。

 これをきっかけに全国の学生や若者に愛唱されるようになり、毎年夏にはデカンショ節の盆踊りが盛大に行なわれ、篠山を代表する風物詩となっている。

見どころ  篠山城は「笹山」という小丘陵の上に築かれた平山城で、天守台規模はあまり大きくないものの、築城技術が最高に達した時の城であった。本丸の東南隅に天守台を設け、これを守る二の丸を梯郭式とし、本丸と二の丸を内堀で囲み、さらに三の丸の周囲に外堀をめぐらしていた。外堀の三方に出入口として馬出を設け、防御に徹した縄張りであった。

 天守台を設けたものの天守は築かれなかった。これは余りにも堅固すぎる城であったため、家康が許さなかったからである。

 篠山城跡は本丸跡、二の丸跡、高石垣、内堀、外堀、馬出が残っているため国の史跡に指定されている。平成12年、二の丸跡に京二の丸跡に復元された大書院都二条城をモデルにした大書院が復元され一般公開されている。真新しい白木の柱、木の香り、障壁画などが往年の二の丸御殿の様子を偲ばせる。

 二の丸跡へ入る鉄門(くろがねもん)跡の石垣もなかなか見ごたえがある。本丸跡には篠山藩主青山氏を祀る青山神社が建ち、北側には掘るのに2年もかかったといわれる深さ16mの井戸も残っている。

 本丸跡の東南隅にある天守台の石垣は本丸跡からは4mの高さに過ぎないが、下から仰ぎ見ると高さ17mで、本丸跡の高石垣とともに見事なものである。南馬出

 篠山城は城としては中規模なものであったが、天下普請として徳川幕府の威信をかけて築城したものだけに、今に残る石垣群や堀が当時の技術の高さを物語っている。

 二の丸跡と本丸跡を見学した後は、石垣と内堀を眺めながら南の馬出に向かいたい。東の馬出は石垣造りだが、南馬出は高さ4mの土塁で方形に造られているので角馬出とも呼ばれ、篠山城独特の遺構である。南馬出から眺める外堀の風景は実に美しい。

 篠山城跡は桜のシーズンが最も美しく、地図を参考にしながら高石垣や貴重な遺構である馬出や堀、武家屋敷の残る御徒町を散策したい。

周辺案内  丹波古陶館篠山には見どころが多い。まず河原町の妻入商家群は伝統的建造物群に指定され、江戸時代の面影を今に留めている。その一角に丹波古陶館と能楽資料館がある。

 丹波古陶館はその建物の姿も美しく、篠山歴史美術館鎌倉時代から江戸時代までの丹波焼の名品が時代順に展示され、館長の説明を聞きながらじっくりと見学すれば時の経つのも忘れるほどである。丹波古陶館の近くには能楽資料館があり、能衣装や能面の名品の数々が展示され、能楽に興味を抱く人には見逃せない資料館である。

 妻入商家群を後にして次は篠山歴史美術館を訪れたい。展示されている歴史資料も見ごたえがあるが、この美術館は明治時代の裁判所跡で、当時の裁判所の様子がわかって興味深いものがある。この近くには篠山名物の黒豆などを販売する商店が集まり、観光客でいつも賑わっている。