堕落
依然と続く交代制。別室に流れる生中継をじっと聞き入ることで「出席」の扱いとする、とされども。在宅勤務に同じ、いつしか緩む緊張感。一方の理事者側とて答弁なき際は出席不要とあらば。市議の質問に見る全庁的な課題、隣の局長の答弁に学ぶ文章力など決して聞いて損にはならんと思うけど。ということで「堕落」が本日のテーマ。
更新中に残りの三施設にて受入が可能ならば四つも要らぬ。安からぬ維持費が節約できるばかりか、ごみの減量も促進されて。余熱利用のプールのみならず、自家発電に自らを賄い、「余剰」の電力を他に買い取って貰わば一挙両得。それも入札に最も高い額を示した企業が落札すれば本市の利益が最大化され。そんなオイシイ仕組みにわざわざ市の出資法人を介入させて随意契約にせずとも。「随意」を否定はせぬ。ただ、そこが硬直化して市場価格と乖離した金額になりかねぬ、との懸念が払拭できぬだけで。そう、ごみ焼却場の話。
小売りの自由化以降、各社の参入が相次ぐ電力分野。原料を加工して売る、に抱える調達時の価格変動リスク。一方、太陽光や風力など自然エネルギーは原料の調達コストが抑えられる反面、天候という外的要因、別なリスクを抱え。あくまでも「余熱」とあらば川上のリスクは小さく、そこに生じる転売の利益や十億円。一方の川下とて選択の自由と申しても市が資本参加する企業とあらばそちらと契約せざるを得ない、なんて。特に公共施設なんかは。
現行の入札制度に何かしら不都合でも、との質問に自由参加とあらば本市が生み出す価値が市外に流出しかねぬ、地産地消というけれども肝心な送電網は未だ独占なのだから域内の停電の可能性が著しく下がるなどとはいえぬ訳で。むしろ、健全な競争が働かぬこと、利用者の選択が歪められることの不利益のほうが大きくはあるまいか、と答弁を求めており。詳しくは市議会の会議録にて。
公益性に鑑みれば官が担って然るべき、との言い分。民といえども独占寡占とあらば然して変わらぬ。いや、むしろ、「民事」が政治介入を拒む口実になっていたりもして。つまりは官か民かというよりもそこに競争があるか否か。いや、競争があったとしても低落札の泥試合になる位ならば随意契約とて立派な運営がなされているところもあり。放っておかば組織は堕落する、ゆえにやむなく外圧が加わるのであって、そもそもに人なんて。性善説に立たば共産主義だって、そりゃさすがに違うか。
電力需給の逼迫、に呼びかけられる節電。ちりも積もれば。不足量は節電に賄いきれるレベルか否か。「逼迫」という状況は分かった。されど、その度合いが見えぬ。突然の停電に復旧まで数日間とあらば、節電以上に抜本的な対策を講じた方が。
あの当時、電力の国家統制に挑まんとする当人に福翁が告げた一言や「天のソロバンは大きいぞ」。本市でも利権の温床などと揶揄されぬ検討が進むことを願っており。
(令和4年6月30日/2719回)