ご存知ですか?白い小豆。滋賀県・叶匠壽庵「夏のたまろじ・白小豆」
ご存知ですか?
水無月は一年の折り返しにあたり6月末日に、残り半年の無病息災を祈願して食べる和菓子です。
この祈願は「夏越祓|なごしのはらえ」 と言い、平安時代の宮中では邪気払いに、京都・西賀茂地区の氷室に保存していた氷を取り寄せて食べていました。
当時は、一家に一台冷蔵庫が無い時代。庶民にとって氷はとても高価で手の届かない物で、三角に切った外郎を氷に見立て、外郎に乗せた小豆に、悪魔祓いの意味がこめ、邪気払いをしたのが、水無月の始まりです。
水無月は茶色の小豆が一般的ですが、叶匠壽庵の観なず「夏のたまろじ」には、白小豆があります。
一般的に白あんに使用しているのは白いんげん豆です。白小豆は、栽培が難しいので生産量が少なく希少な小豆。味は、茶色の小豆よりも、少しさっぱりとしています。
叶匠壽庵の外郎は、一般的な外郎よりもくちどけが早く、もち粉に寒天を入れて練り上げるそうで、口当たりが瑞々しいです。真空パックに入っているので、日持ちも長くお中元にもオススメです。
四角い形をしているので、食べる時は、包丁で斜めに切り、三角の断面を楽しんでください。
「夏のたまろじ」には普通の小豆と、白小豆の2種類ありますので、小豆の味を知る食べ比べてみるのもイイですね。
【滋賀県|叶匠壽庵】創業は1958年。
創業者は、芝田せいじと言います。大正8年7月七夕、京都・祇園で生まれです。少々ユニークな経歴の持ち主で、立命館大学中退後、シナリオライターをされてました。
その後、滋賀県警の警察官として勤務したのち、大津市役所の観光課に勤めます。茶道を学んだことがキッカケで、人生の再出発を決心して、仕事に刺激を求めて退職します。
1958年、自宅を工房にした叶匠寿庵を創設。が、その時、和菓子作りは10日ほど友人から学んだ程度というから驚きです。
小豆の炊き方を鍛錬しつつ行う商売の厳しい時代に、転機が訪れたのは、琵琶湖近くの観光名所の駐車場で販売をしていた頃。
人づてに叶匠寿庵の最中を食べた、伊藤忠商事の社長、越後正一が来店します。
越後正一は、最中の味もさることながら、菓子包に同封されていた「栞の一節」を読み、創業者の発想に興味を持ちます。その後、財界の重鎮を連れて再来店。以降、松下幸之助夫人をはじめ、政財界の重鎮たちへの口コミで、評判は関西圏で広がります。
1971年、看板商品の「あも」を発売し、阪急百貨店、梅田本店へ出店するとブームが起き、日本橋三越・池袋西武と関東進出。1977年には、阪急・三越・西武の菓子売り場の売上げベスト3を占め、叶匠寿庵は、和菓子界の風雲児、和菓子界のソニーと言われたそうです。
現在は創業から3代目。「和菓子づくりは素材づくり」の思いから「農工ひとつ」を掲げ、山林を自ら開墾し、原料栽培と工場を併設する農園「寿長生の郷(すないのさと)」を、1985年に滋賀県で開園。
約6万3千坪の農園では、工場排水を浄化して栽培に使用したり、年間100トンの小豆から出る小豆の皮を堆肥として使用するなど、循環型のエコファームを運営しています。
SDGsが策定される前から、地域との交流や、持続可能な社会の実現に向けた取り組みむ様子は、和菓子業界の風雲児だった、創業者のアイディンティティが、感じられます。
私は昨年10月から、叶匠寿庵さん公認アンバサダーを務めさせて頂いており、和菓子はさることながら、もともと、叶匠寿庵さんの環境配慮に対する取り組みに、興味がありました。
それは、代表銘菓の「あも」の粒あんを食べた時に「きっと、水が美味しい場所で作られたのだろうな」と思ったのがキッカケでした。
農園「寿長生の郷」は、春は梅がキレイな場所だそうで、一般の方も利用できるカフェやお店もあります。ご縁を頂きながら、滋賀県なかなか遠くてまだ一度も訪れたことが無く、機会を作って行きたいと思っています。