人間の「解釈」をアニメ「SPY×FAMILY」から考える
Spark Lab(スパークラボ)の稲場泰子です。
多くの地域で大変暑い日が続いていますが、如何お過ごしでしょうか?
6月はちょうど1年の半分。
色々なドラマやアニメも一区切りつく季節ですね。
毎週チェックしていたアニメ「SPY×FAMILY」の
シーズン1が先週終わってしまい、ちょっと寂しい私です。
今日はその「SPY×FAMILY」から見た、
人間の「解釈」について書いてみたいと思います。
「あなたがそう思わせる」のか?
作品をご存じない方のために簡単にご説明すると、
「SPY×FAMILY」はスパイ、殺し屋、エスパーが
お互いの正体を隠しながら偽装家族を作って暮らすという
漫画を原作としたアニメです。
こう書くとシリアスに見えますが、
内容は微笑ましい笑いに溢れたホームコメディーで、
エスパーの娘「アーニャ」の可愛さにほだされて
作品をチェックしている人が
たくさんいると見聞きしています。自分もその一人です。
この中のエピソードに、
殺し屋の妻「ヨル」が
実は自分の正体を知っていながら近づいたのではないかと、
スパイの夫「ロイド」が疑念を抱く回があります。
疑念が頭を離れず、言葉少なに、表情が硬くなる「ロイド」。
その態度を見て、
「自分が妻の役割を十分出来ていないと思われているのでは?」と
不安になる「ヨル」(そして言葉少なになる)。
その態度を見てますます用心する「ロイド」。
お互いの心の距離が広がっていきます。
しかしそれについて直接の言葉は何も交わされません。
お互い相手の態度に思い込みを抱き、
全く別の「お題」について悩んでいるにも関わらず、
お互いのマイナスな感情を刺激し合っています。
普通の夫婦でも起きそうなことですが、
このような特殊な設定で見せることで、
人間のすれ違いをわかりやすく描写していると思います。
私達はこのようについ
「相手の態度が自分をこうさせた」と思いがちです。
しかし、実は「不安になる」のは相手ではなく、
自分のせいなのです。
私達はまず、「相手が言葉少なで表情が暗い」というような
「現象」を見て「刺激」を受けます。
そして、それを自分で「解釈」(自分が妻としての役割を話していないと相手は思っているに違いない)し、その「解釈」に基づいて「反応」(言葉少なになり、表情を堅くする)を返します。
すると相手はその「反応・刺激」をまた「解釈」(やはり自分の正体を知っているのでは?)して、「反応」を返します。
相手が本当に思っていることはわからない(心を読める娘の「アーニャ」以外は・・・・)まま、
相手の表情や態度を「解釈」して
お互いグルグルネガティブな反応を返し続けているのです
「刺激と反応の間に自由がある」
第二次世界大戦中にアウシュビッツに収容され、生還した
精神科医の「ヴィクトール・フランクル」の言葉に以下のようなものがあります。
「刺激と反応の間には空間がある。
その空間に、自分の対応を選ぶ力がある。
その対応の中に、自分の成長と自由がある」
「相手の態度がよそよそしいから自分が不安になる」のではなく、
「相手の態度がよそよそしいから自分は『不安になる』ことを『選んでいる』」ということなのです。
そして、その選択は自分で変えられ、「対応」できる。
そこにこそ心の自由がある、ということをフランクル氏は言っています。
外からの刺激にただ反応するという生き方をしていると、
周囲に振り回され、
「被害者」になっていきがちです。
そうなると、ストレスは高く、
自分で自分の人生をコントロール出来ている実感が薄まってしまいます。
ではどうすれば「対応」することができるか?
大変難しいことで、魔法の解決方法はありませんが、
訓練で少しずつ上手になれると考えます。
以下のような順番で少しずつ習慣を変えていくことがお勧めです。
1. 相手の反応に対して感情が沸いたとき、それを表現するのを少しでも保留してみる。
2. 保留できたら「相手の態度をどう解釈したのか」を考えてみる
(「相手の態度を見て、自分は相手がどう思っていると思ったか」を考えてみる。例えば「自分がちゃんとやっていないと相手は非難している」)3. 相手の態度に対して他の解釈が出来ないか可能性を考えてみる
(例えば、相手は単に遅刻しそうで不安に思っているのかもしれない等)
「SPY×FAMILY」ではどうなったでしょうか?
「ロイド」はスパイらしいやり方で「ヨル」の考えを確かめ、
めでたく二人の関係は改善します。
そう、最終的には、(信頼関係が成り立っている相手ならば)
「事実を確認する」のが一番いいのです。
「あなたの表情を見て私はこう思って不安になったのだが、本当はどう思っているのか?」と。
これはとても勇気のいることでもあり、気恥ずかしいことでもあります。
しかし、本当にこじれそうな時には、これがお互いの救いになることもあります。
ちなみに解釈の勘違いは必ずしも悪いことばかり起こすわけではありません。
「アーニャ」の学校での言動が、クラスメートに意図しない解釈をされたことで
友情や恋が生まれました。これも人間関係の妙で、楽しみでもあります。
勝手に解釈し合うことで、生まれる人間関係も壊れる人間関係もあります。
しかし、「解釈」は自分の中にあり、決して他の人に強制されたものではない、と思えば、
人生をコントロール出来ている感覚は増していくと思います。