【芝②】西久保天徳寺門前町
2018.01.20 10:30
町名:西久保天徳寺門前町
読み方:にしくぼてんとくじもんぜんちょう Nishikubo-Tentokuji-Monzenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「西久保」
現町名:港区虎ノ門三丁目
概要:浄土宗光明山和合院天徳寺は1533(天文2)年に後の江戸城内紅葉山に開創、「天地庵」と称し、1585(天正13)年に霞ヶ関に移り、1611(慶長16)年に当地に移った。門前の起立は不明。従来「孫兵衛町」と唱え、天徳寺が当地に移転のとき境内門前町屋になったが、もとのように「孫兵衛町」と唱えた。1672(寛文12)年4月13日の沽券状に「孫兵衛町裏町」とある。1676(延宝4)年の沽券状には「桜田天徳寺門前」とあるのでその頃から「西久保天徳寺門前町」と唱えたと思われる。1662(寛文2)年11月から町奉行の支配となった。
西久保同朋町と芝富山町の向かいを「広小路門前町」、西久保新下谷町と西久保車坂町の向かいを「表門前町」、葺手町と神谷町の向かいを「裏門前町」又は「入門前町」ともいう。1828(文政11)年の総家数は144軒、うち地主12・家主22・地借10・店借100(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、表門前町は起立となった西久保巴町に、裏門前町(入門前町)と広小路門前町は同じく起立となった西久保広町に編入し消滅。西久保広町となった部分は現行の虎ノ門三丁目8番南半の西部と11番の西部、表門前町は虎ノ門三丁目8番19~24号、11番1、12~14号である。
撮影場所:西久保天徳寺門前町