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さのこなみのことvol.2

2019.09.06 00:10

vol.1からの続きになります!


あまり面白くないお話ですが、

佐野小波のこと書いていきます*





*専門学校を卒業して


就職活動は「マーケティングのお仕事がさせてもらえる会社」「若い人が活躍できる会社」をたくさん受けました!


こんな条件だったのでかなりいろいろな会社を受けました!まあ、小売業ですが!笑

(アパレル、カフェ、電気屋さん、ホテル、ジュエリー…)




そしてアパレルに勤めました!

もちろん本社志望!


まあでも最初は現場です!

(実家は横浜ですが、浜松へ勤務になりました!)





*アパレル会社に勤めて


それはもう毎日泣いてました笑

この頃からわたしのことを知ってくださっているフォロワーさんももしかしたらいらっしゃるのでは…メンヘラ爆発でした笑


でもこの涙は悔し涙でした!

なんでこんなにできないんだろうって!

当時叱ってくれたスタッフさんには感謝してます!




お休みの日には次の仕事の準備と、たまに撮影をしていました!


このときは撮影がほんとにほんとに心のよりどころで…唯一自分を肯定してもらえる場所だったと思います*


この頃撮影してくださる方がいなければ佐野小波はいませんでした。

感謝いっぱいです。





*会社を辞めるまで


よその店長がクビになった玉突きで、

磐田の店舗へ転勤になりました!


浜松から通えと言われて実家かれ車を持ってこいと言われました。(ペーパー)


毎日通勤距離往復60キロオーバー

さらには午前中磐田午後浜松とコンボ(休憩なし)

残業時間だけで毎月200時間超え

前の店舗の店長に襲われる

磁石でぱちっと止まるカバンを買ったらクレカとキャッシュカードの磁気が壊れる

携帯電話を落として壊す

ハイドロプレーニングで車大破


はい、そうなのです。

このとき後厄だったのです。

(たぶん、そういうことじゃない)



でも、スタッフさんが言ってくれたんです。

「でもこなみん、カラダは怪我一つしてないなんて、ものすごい強運の持ち主だよ!」って!


た、たしかに???




でも本格的に死にたくなったので仕事を辞めました。

研修のバイト雇用からいれて2年半勤めました。


死ぬ前に辞めてよかった。

この時は辞めるって判断ができなかったんです。死ぬしかないって本気で思っていました。怖いですね。


今振り返れば、良い経験でした。





*2015年8月


7月20日に出勤終了

8月20日まで有休消化

この1月をあえて浜松で過ごすことを選びました。


そして2015年8月1日を持ってわたしは「佐野小波」になりました。




9月からは実家の横浜へ帰り、いろんな方が撮影してくださいました。


佐野小波を作ってくださったのは、撮影してくださったカメラマンの皆さんです!



死にたかったわたし


努力しても報われない


人に尽くしても返ってこない



そんなドン底のわたしをカメラマンの皆さんが救ってくれました。





*いつもありがとうございます❤️


長い話を読んでくださった強者がいらっしゃいましたらほんとにほんとーーにありがとうございました❤️