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【ノ】野ゆき山ゆき海べゆき(私的埋蔵文化財)

2022.07.03 22:00

 たくさん見てきた大林宣彦監督作品である。しかしなのか、だからなのか、この映画を全く覚えていない。1987年8月3日、“篠原ユキオの「三人展」を大阪老松町・現代画廊で見た後、毎日ホールで”とパンフレットにメモがあるから、観たのは確かなのだが。

 「転校生」「さびしんぼう」「彼のオートバイ、彼女の島」など、記憶に残っているものも多いのに。大林監督作品群として、ひとまとまりの印象が強いのかもしれない。

 大林監督作品との初対面は、50年以上前の「伝説の午後・いつか見たドラキュラ」。何も知らず大学の映画サークルのやっていたイベントで、同志社大学学生会館で観たのが初めてだった。それまで観ていた分かりやすい物語の映画とは違った世界だとは思ったが、私の好みではなかった。

 その後、東宝でメジャーな作品を撮るようになり、「転校生」で圧倒的支持を受けることになった。今もこの映画が大林作品の中で一番好きかもしれない。何度かリメイクされた。そして尾道シリーズを筆頭に、いろんな作品を見ることになった。

 尾道は二、三度訪れたことがあるが、当然引き金は大林監督だ。街のあちこちに映画の目印がある。坂道を上がると瀬戸内の海が美しい小ぶりの町だ。向かいの島まで渡し舟が日常の交通手段として機能している、内陸暮らしの私には経験のない街感覚だった。

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 大林宣彦さんには私の「家族の練習問題 第一巻」にエッセイを書いていただいた。編集の仕事をしている息子のつながりで依頼して快諾を得たという。正直なところ、想像外のことにビックリだった。同じ巻に沢木耕太郎さんのエッセイもいただいているが、こちらは私のつながりから息子が依頼して、原稿をいただけた。こちらは「よく、沢木さんに原稿を書いてもらえましたね」と業界関係者から言われたそうだ。

 亡くなる直前まで映画を撮っていた大林監督は、業界の伝説になった。そして作品は、黒澤監督作品と共通で、映画人が批評的なことは何も言わなくなった。監督にとって本意ではなかっただろうが、周囲がそうしてしまった。その結果、創作者として新作を観客に問うことは叶わなくなったように思う。

 小なりといえどもその端くれにいる私としては、クリエーターが歳を取って、若者たちに見守られていては仕方がないと思う。今の観客に問いを投げかけられているかどうか、そこが勝負だろう。自分がそうできているかどうか? 誰も教えてはくれない。