中国の現代詩人と風景
【質問】
前号では王安石の詩が引用されて、たちまち目の前に大陸ののどかな風景が広がりました。では、現代の詩人が中国の風景をうたった作品にはどのようなものがあるのでしょうか?
【回答】
現代の詩人が中国の風景をうたった優秀な作品は少ないと思います。 とりあえず、過去の有名な詩人を取り上げたい。20世紀近代中国新詩運動の代表的な詩人である浙江省海寧出身の徐志摩氏(1897~1931)は、中国では、広く知られている現代の詩人です。36歳のとき飛行機事故で落命されました。 徐志摩氏は英米、日本などを放浪し、その後、数々名作を発表しました。留学先のケンブリッジでの思い出を「再別康橋」として発表し、徐志摩中の代表的な詩作の1つで、中の名句「軽軽的我走了(そっと ぼくは去ってゆく…)」は、今でも若者の間で愛読しています。
現在の詩人が書いた風景詩は多少「祖国を謳歌する」のようなイデオロギーの匂いが物語っているのです。現代の詩は、雰囲気も技法も古代の山水詩とはかけ離れています。 印象深い詩人は、学校の国語教科書に作品が載せられている艾青(1910―1996)です。代表作には「大堰河(ターイエンホー)――わたしの乳母」があります。1957年反右派闘争のなかで右派として批判され、党と作家協会から除名され、その後名誉回復を受けましたが、「文化大革命」に際して再び批判を受け、1979年復活し、中国人民政治協商会議委員になりました。中国近代詩の代表的な存在です。80年代、艾青の詩集「芦の笛」が日本で出版されました。
艾青の作品である「北方」という詩の中、以下のような感慨深い句があります。
「北方是悲哀的 從塞外吹來的 沙漠風 已捲去北方的生命的綠色 與時日的光輝」
日本語の訳文は以下です。
「北方は悲しい とりでを越えて吹き荒れる 砂漠の風 北方の生命の緑 と時の輝きを奪った」
風景に漂う悲壮感、哀愁の雰囲気が感じられます。30年代に書かれた作品ですが、現在の北方の風景にも当てはまると思います。
最近、湖南省湘西のある田舎小学校の先生である李田田氏の詩がネット上、話題になっているのです。彼女の詩は現代農村の自然風景と人文風景を描くわけです。
「孤独な村」という詩の中、以下のように風景を描いているのです。
「村から離れる人が多くなった 春は空っぽに、大きくなる 誰も見ていない丘の上の野草たち アヒルの池は物静か 休息する野生のタンチョウ 薪を運ぶおじいさんは、気づかない 丘の上に続く泥の道 牛の草だけが暴れまわる ぶら下がった建物の多くは、煙が出てこない 部屋の骨だけが残る」
現在、李田田氏は多大なトラブルに巻き込まれているようです。精神病院に監禁されているらしいです。先日、上海の専門大学である震旦学院の宋庚一教師事件に関連して出てきました。宋氏は今月初めの授業で、南京大虐殺の「30万人死亡」は数字の証拠が不足しているとの発言で昨年12月16日に解職されました。
中国のネット世論では宋氏への批判が相次いだのが、擁護する側に立ったのが李田田でした。李氏はSNS・ウェイボーで「問題があるのは学生、除籍処分とした学校、官製メディア、そして沈黙する知識分子だ」と主張しました。
李田田氏の風景詩には、社会への不満と自由奔放な個性が見えると思います。
(メルマガ黄文葦の日中楽話第68話より)