「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」(映画感想)
もう公開終了してしまっているのですが…過日、シネリーブル神戸で観てきました。
寂聴先生といえば、清水ミチコの物真似ぐらいでしか知らなくて(すぐ「お布施お布施!」「お金ちょうだい!」っていうww)。
あとは、女流作家・瀬戸内晴美として奔放に生きてきて、50歳過ぎて出家した人、というくらい。
この映画は、寂聴先生が81歳頃から亡くなる直前までの約17年間の、ある男性ディレクターとの対話や取材映像の記録。
コロナ禍になって、先生がぐっと老いた感じがよく分かります。
定期的に行っていた説法会が中止になり、このディレクターと会う機会も減ってしまい、転倒して顔に大きな青痣が出来たりしてる!
zoomにうまく対応できず、皆に迷惑をかけた、と声を上げて泣くシーンは、笑いながらもらい泣きしてしまいました。本当に子どもみたいに手の甲を目に当てて「だってえ~…!もうダメだ~えーん!!」って。
100歳近くになって、本当に無垢な魂に戻りつつある感じ。
勿論、喜怒哀楽すべてにおいてダイレクト、直球型。
お酒もお肉もガンガン飲み食いして、これで出家者と言えるのか~!?と思うけど、ご本人も、「私は僧侶としての戒律をことごとく破ってるんですよ。何にも守れてない」と仰ってる。
※「…だけど1つだけ守ってる戒律があるんです。~」と続くんですが、それは本編でご確認下さい!
この人の小説は読んだことがないのですが、晩年、新聞に載っていたエッセイは楽しみに愛読していました。同年代の佐藤愛子氏と、お互いこの年まで頑張ってきたわね、と抱擁し合ったという回は凄く印象に残ってます。残された愛子先生寂しいだろうなあ…。
寂庵での説法会で、爆笑が起こったり、Q&Aで一緒に泣いたりするシーンにはすっかりやられてしまいました。大勢の人に囲まれるほどオーラが広がって会場がうねる様子がばっちり映像化されていて、説法と言うよりコンサートとか独演会みたい!
このディレクター氏のことを「裕さん」と呼び、性と年齢を超えた恋愛感情で繋がっていたようにも見える二人。
寂聴先生は、彼が離婚後アパートで一人で暮らし、決まったパートナーがいないことをしきりと気にして「あなた誰かいないの?」「かわいそうかわいそう」って言い募る…
この映画でもずっと言っていたけれど、先生にとって恋愛は燃料のようなもので、それがなければ生きている意味はないと。人を好きになることは雷に撃たれるようなものでそこに理由なんてない。避雷針を立てたって、そんなもん無駄なんですよと。
最晩年まで、好きな言葉は「情熱」と言っていた寂聴先生。出家後はきっと、自身の情熱を全方位に向けて、そのレスポンスを作品にしていったのではないかと思います(読んでないけど!ww)