倉敷天文台100周年(1)
〜百周年そしてその先の未来に向けて〜(倉敷天文台HP「くらてん講演21」より)
倉敷天文台は、2026.11.21に創設100周年を迎えます。
日本の民間初の天文台として、1926年(大正15)11月21日、倉敷天文台は創設されました。「天文同好会支部所在地数十ケ所に、民衆的天文台を設けたい」という山本一清氏の理念のもと、大車輪の活躍を見せた水野千里(ちさと)氏。そして、財政的に支援した原澄治(すみじ)氏。幾多の苦難を乗り越え、倉敷天文台は創設100周年を迎えます。
これから10回に亘って、倉敷天文台の歴史を故・伊達英太郎氏天文資料から振り返りたいと思います。
創設メンバーは、以下の方々です。
名誉台長:原澄治氏(1878~1968、倉敷紡績専務)
台長:山本一清氏(1889~1959、京都大学教授、天文同好会会長)
主事:水野千里氏(1878~1941、中学校教諭、天文同好会岡山支部長)
台員:宮原節(せつ)氏(理学士、六高教授)
中村要氏(1904~1932、京都大学助手、天文同好会幹事)
中藤益之介氏・小川龍五郎氏は、倉敷天文台の来会者の接遇等を担当しました。特に小川氏は、平日天文台の案内役として活動し、留守台長とも言われる存在でした。天体写真の撮影も行いました。
後年
荒木健児氏(1902~1980、黄道光及び月面研究、在任1931.4~1935.3)
小山秋雄氏(1907~1938、京都帝国大学理学部卒業、変光星研究、在任1935.3~1938.8)
岡林滋樹氏(1913~1945、新星・彗星発見、在任1939.2~1941.3)
本田實氏(1913~1990、新星・彗星発見、在任1941,1952~1990)
が、主事や台員、台長として活躍しました。
観測中の荒木氏とカルバー32cm反射望遠鏡。上は、瀬戸黄道光観測所への異動を知らせる伊達英太郎氏へのハガキ。この時荒木氏は、既に倉敷天文台を去っていました。
写真は小山秋雄氏(「天界」第210號より引用)
本田實氏と観測所(「日本の天文台」より引用)
(参考文献)
日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987
倉敷天文台,水野千里,天界1929,7(100):377-382,天文同好会
回顧十年,水野千里,天界1930.11(115):26-30,天文同好会
天界1938.10(210),東亞天文協会
日本の天文台,月刊天文ガイド編,誠文堂新光社,1972
倉敷天文台のあゆみ~大正・昭和・平成そして未来へと~,公益財団法人倉敷天文台
天文の巨人山本一清,冨田良雄,天界2013.11(1062):403,東亜天文学界
(初期のメンバー・荒木氏・岡林氏の写真は、伊達英太郎氏天文写真帖より、荒木氏のハガキは伊達英太郎氏天文蒐集帖より)