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生島尚美さんエッセイ / 新・バリ一代ドタバタ記 (メルマガvol.45より転載)

2018.01.22 13:32

第2回 ケッコンしたし、家も建てたけど、

 まだまだ続くのか?底なしのど根性!

 

 年末年始、例年ほどではないにしろ、たくさんのお客様がバリ島を訪れて下さって、ウブドの”sisi”もにわかに賑わい、恒例の元旦のお餅つきも大盛り上がりでした!


 しかし、それは1月3日まででした… 

 その週末も日本の連休、きっとまだお客さまが来て下さるはず、という期待も外れ…  


 しかし、それでも家族は元気でスタッフも一緒にこの状況を頑張って乗り切ろうとしてくれている。

  前を向いて「次はジャカルタのイベントだー!」と張り切っていたら、ありがたいことにたくさんのお問い合わせが入ってきて、忙しくしています。


 気になるアグン山ですが、実は小規模な噴火は起こっています。

  起こっていますが、大きな被害は出ず、気付いていません。我が家から早朝は本当に美しく見えるその聖なる姿。

  「あれ? 今日ちょっと噴煙出てる?」と、それをも「日常」にしつつあります。


 鹿児島の人たちと桜島はきっとこんな関係なのでしょうね。 ジョコウィ大統領のように「バリ島は安全です!」と無邪気には言いきれませんが、中規模の噴火ぐらいではウブドも影響はほぼない、と言えます。(なので南の方の海側にいたっては!!!)ただ、空港が万が一閉鎖した時にはぜひ、我が家に〜〜〜!(本気です)


 さてさて、本題にそろそろ入らなくては。 


 2004年、私は「次の段階」へ、と言う想いと「息詰まり」を感じて、本拠地をバリ島・ウブドから奈良へ移しました。

  その後、日本でsisiの事務所&ショップを立ち上げ、結婚、2人子どもを出産。2004年に日本に帰る当初から「落ち着いたらバリ島に戻る」と計画していた通り、2009年春に2歳半の長女、5カ月の息子の家族4人で再びウブドへ。  


 ただ、実は2008年の10月、すでに居住地を移すことを計画していたのにもかかわらず、息子を産む寸前に奈良でマンションを購入していました。「え? 引っ越すの? で、その前にマンション購入?」なんて周りは困惑していました。 


 バリ島に戻る、とは言え年の3分の1は奈良で過ごす予定だった私たち。バリの幼稚園がお休みの時は奈良に1カ月ほど戻って来て、行っていた保育所に子どもたちを預け、私たち夫婦はsisi奈良店で仕事をし、東京などで展示会をする予定でいたからです。 


 その頃、実はウブド郊外にも自宅を建てていました。2007年に友人と一緒に購入した広い土地(約30アール)を3つに分け、それぞれ自宅を作る予定でした。 


 2008年から続いた我が家の工事、私は出産前後であったのでバリには行けなかったのですが、sisiの仕事と「自宅の工事の監督」ということで夫がしょっちゅう行き来していました。 


「夢の我が家」


 土地の広さは7アール、210坪ほどの広さです。一応10年近くバリ島でビジネスをし、いろいろなことも経験してきて、会社も作り、そして自宅を建てる。


 田んぼが広がる素晴らしい景色、その向こうには例の「アグン山」がそびえ立つのが見える。「どこに行けばセンスもいい、仕事もきちんとしてくれる信用できる設計士に会えるのだろうか」と心配していたところ、「奇跡」のような出会いがありました。

  同時期に隣同士に家を建てよう、と言っていた友人夫婦はクリスチャン。彼らが行く教会にジャカルタ人の女性設計士さんがいる、というのです。「彼女、素敵な人よ」と教えられ、会った時に「どんなものを過去に作っていますか?」と聞いてみたら、ウブドに数年前に出来た味のあるジャワ風の建物のおしゃれなワルン。「こういうデザイン大好き」と私がお気に入りだったそこをデザインした人だったなんて! ご縁を強く感じて自宅をお願いすることに。出来上がって来た自宅の絵を見てうれしくてクルクル回ってしまうほどでした。     

写真は心躍ったパース(完成予想図)



 バリ島に1999年に単独でやって来て、2000年にsisiの一番最初のお店を立ち上げ、極貧状態で修業時代を送り、バッグをひとつひとつ売っていた私がまさかこうして家を建てることになろうとは! 


 順風満帆だったはず! なのに…


 やはりバリ島はそうは簡単に物事が進めさせてくれないのでした。