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中島輝 Official Media「旅をする木」

受け入れられて初めて気付く想い

2018.01.25 00:39

「これからどうしよう・・・」

 

 空虚な心で思っていたことが、つい力なく口から漏れてしまった。

 

 希望の大学に入学するために浪人して1年間死ぬ気で勉強したのに。

 気が狂いそうなほど辛くても机にかじりついて勉強したのに。

 模試の成績からすると何事もなく合格できると思ったのに。

 

「なんだよこれ?」

 

 大学受験の結果が返ってきた19歳の私は、これからどうしようか迷っていました。もう一年あのつらい勉強をするのか、大学は行かずに働くのか、行きたくもない滑り止めの大学に行くのか。心にはぽっかり穴が空き、考えは一向にまとまらず、どうしようもなかったので、1人で京都へ行くことにしました。

 

 京都を訪れる目的は「哲学の道」へ行くことです。

 

 「哲学の道」は京都在住の哲学者、西田幾多郎先生が思索にふけりながら散歩をしていたことで有名になった道です。小学4年生のころ、偶然学校の図書館でゲーテの本を手にして衝撃を受けて以来、エマーソンや、プラトンやカーライルやソクラテスなど、あらゆる哲学者の思想に触れて、何度も救われてきましたが、西田幾多郎先生も私に影響を与えてくれた哲学者の1人でした。

 「西田先生のように、哲学の道でじっくり思索にふけるんだ。そして、これからどうするか決めよう」そう思いながら、新幹線で移りゆく景色をボーッと見ていました。

 

 哲学の道に到着すると、人はまばらでした。

 「桜が咲いていたらきれいだろうな〜」

 「哲学の道」は東山の麓、若王子神社付近から銀閣寺まで続く明治時代に作られた人口の水路沿いの遊歩道のことで、その土手には桜をはじめとする木々や植物が植えられて、桜の季節にはたくさんの人で混雑します。

 

 私が訪れたのは3月中旬で、暖かい服装をしてきたはずなのに肌寒く、まだ桜の蕾が春を待っている状況でした。これからのことを考えたくて茨城から京都まで来たはずなのに、なぜか問題と向き合うのがいやで、景色に意識を向けながら歩いていました。


  どのくらいの時間が経ったでしょうか。かなりゆっくり歩いたはずなのに、何も決められないまま、銀閣寺から熊野若王子神社までの約2kmの道のりを歩き終えてしまいました。


  「これからどうしよう・・・」

 途方に暮れた私は、すぐ近くにあったお寺に何も考えずにふらっと入りました。

 そこで私はある一体の阿弥陀如来像と出会います。阿弥陀如来は前を向いているのが一般ですが、ここの阿弥陀如来は左側を向いて振り返る変わった姿をしていたのです。

 この阿弥陀如来像をじっと見ていると、惹き込まれるような感覚になり、胸の奥がジワリと震えてきました。

 「なんだこの仏像は!?」そう思って案内板を見ると、この不思議な仏像の名前は「みかえり阿弥陀如来」と書いてあります。

 それを見たときに「この阿弥陀様は、私のことを見てくれている。こんな私でも受け入れてくれている」と感じ、わんわん泣きました。人目もはばからず泣き続けました。


 ひとしきり泣き終わると、なんだか気持ちもスッキリして、自然と心が定まりました。

 「合格した大学に行こう!」


 みかえり阿弥陀如来に出会う前の私は、入学手続きの期限も迫っていたので「早く決めなきゃ」という焦りがありましたが、心にはポッカリと穴が空いて、どうしたらいいのかわかりませんでした。

 でも、みかえり阿弥陀如来に「受け入れられている」と感じたときに、気がついたのです。私は最初から、心の底では「大学に行きたい」と思っていたことに。


 私が「大学に行きたい」と思っていたのに、そのことに気付かなかったのは、「なんで受験に失敗してしまったんだろう。それに高校受験も失敗しているし、自分の人生は失敗ばっかりだ。自分はダメな人間なんだ」と自分を否定してばかりいて、今の状況で何を選びたいのかに全く意識が向けられていなかったからでした。


 

みかえり阿弥陀如来に受け入れられたとき、

今の自分を受け入れられました。



オリジナルの原稿より


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