希死念慮 - 死ななければならない -
2018.01.25 00:29
「死にたい」ではなく、「死ななければならない」
これが希死念慮。
25歳の私は、「死ぬしかない。」という思いで自宅の天井の梁にロープをくくりつけていました。
家業のビジネスがうまくいかなくなり、会社を存続させるために背負った莫大な借金。
返済に追われ、「今日の借金」を返済するために「借金」をして、「明日の借金」を返済するために「今日の売上」を作る日々。
都合失調症で幻聴が聞こえたとしても、うつで動きたくなかったとしても、過呼吸で発作が起きようとも、強迫性障害で寝られない日々が続いても、休むわけには行きません。
そんな日々が続いていたある日、「怖いけど、死のう」と思いました。
「死んだら迷惑がかかる」とか「誰かが悲しむ」とか「お世話になった人のためにも
生きなきゃ」とか、そういったことは一切考えられなくなりました。
周りの人の存在が見えなくなり、自分のことしか考えられなくなると、自殺への躊躇はありません。だって、死んだ方が楽なのですから。
「さあ、死のう」と首にロープをかけて、そのままロープに体重を預けようとしたとき、ロープの表面のザラザラが首筋を擦りました。
その瞬間、これまでにお世話になっていた人たちの顔を思い出し、ハッとしました。
「何やってるんだろう...。」
ためらいもなく死のうとしていた自分が自分で怖くなり、梁にくくりつけたロープを家の庭に埋めました。
でも、しばらくすると、そのロープを掘り起こし、梁にくくりつけようとしている自分がいました...。
<参考>
『大丈夫。そのつらい日々も光になる。』
(PHP研究所)
第4章 自殺未遂
P154〜P158