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亀に亀重なり仰ぐ実篤忌

2022.07.09 12:46

https://yumesaki.gr.jp/archives/1694 【カメの上に亀】より

ゆめさき池では日常のように亀が重なっています。なぜでしょう?

甲羅干しの習性がある亀は、より日光が当たりやすい場所を求めて陸に上がってきます。しかし、陸地は十分な広さがないと亀たちは甲羅干しに必要なスペースが十分に確保できません。そこで先に仲間の亀が甲羅干ししていようと自分も十分な日光を浴びるため他の亀の背中に上がり重なるそうです。ゆめさき池でも2重、3重と重なっている姿をよく見かけます。

理由その①体温調節、亀は変温動物、自然界において活動のため体温を上げる事の出来る熱源は唯一太陽光です。その②寄生虫の除去。太陽から放たれる紫外線には滅菌作用があります。その③皮膚病の予防。水生不完全菌というカビの一種を滅菌させます。その④甲羅の病気『くる病』は甲羅が柔らかくなってしまったり、足が曲がってしまって歩けなくなったり、恐ろしい病気です。甲羅干しで太陽を浴びて紫外線の照射と栄誉素を吸収します。その⑤藻類繁殖予防。紫外線の照射不足になると亀の甲羅や体に藻類が生えてしまいます。その⑥栄養吸収。爬虫類は甲羅形成に不可欠なカルシウムを得るためのビタミンDそのものは吸収できない為、太陽の光で原料物をビタミンDに変換します。

ほら今日も顔を踏みつけ上へ上へと日光浴、背中の“あんばい”はどうですか?


https://www.moralogy.jp/salon090421-2/ 【地球は亀の甲羅の上に乗っている】より

「大地は4頭の象が支えるお盆の上にあり、その象たちは巨大な亀の甲羅の上に立っている……」

これは「地球平面説」と呼ばれる古代の宇宙観です。もっとも現在では、地球は丸く、太陽を周回していることを知らない人はまずいないでしょう。

今から10年以上前、私の娘が小学校低学年だった頃のことです。宇宙や地球について習ったという話をしていたとき、私は、何の気なしに「亀さんの背中の上に象さんがいて……」という宇宙観を話してしまいました。娘は当然ながらそれを否定してきました。

いたずら心も手伝って、さらに「象の上の地上」の話を続けると、娘は「それでも地球は丸いんだモン!」と怒り出しました。今にして思えばひどい話なのですが、実はこのとき、私には娘に伝えたかったことがあったのです。

「我々は虹を見ても、未開人が抱くような敬虔な気持ちを持つことがない。

なぜならば虹がどうしてできるのかを知っているからだ。

我々はそうしたものを詮索することによって獲得したのと、同じだけのものを失っている」

というマーク・トウェイン(アメリカの小説家。1835~1910)の言葉にもあるとおり、自然に対する畏敬の念を忘れてほしくないという思いです。

人間は他の動物と違い、知識と智恵を持ちます。宇宙は無限に広がり、銀河の端で地球は太陽の周りを回っている。そして地上には無数の動植物が生きている――。しかし、そうした知識を持っているにも関わらず、人類は地球と宇宙を汚し続けています。そこで私はこう思うのです。

“多くの人は、地球が無限の宇宙にあると思うからこそ、ごみを無限に捨てるのではないか。地球が象や亀の上に乗っているというイメージを持てば、ゴミを投げ捨てはしないだろうし、悪化した環境の中で生きていかなければならない他の動物がいると思えば、地球を綺麗に使い、環境保護を心がけるのではないだろうか“

科学の視点から見れば、「亀の上の地上」という宇宙観は笑い話のようなものです。しかし、倫理や道徳の視点で考えれば、先人の考え方は間違ったものではないのではなかろうかと私は思っています。

余談ですが、現在私の娘は鳥類学者を目指して勉強に取り組んでいます。その道に進むきっかけに、父親の与太話がいくらかでも影響を与えていたのではと、密かに喜んでいます。


Facebook清水 友邦さん投稿記事

3人の私がいます。頭の人と胸の人と腹の人です。

頭の人は、知識や情報を栄養にして社会の常識や、仕組みなどを理解して、過去の記憶の中から情報を取り出して、分析、整理します。未来を予測して身を守るための行動へと反映しています。頭の人は、胸の人と腹の人を家来のように扱って、自分は偉いと思っていますが、一番愚かです。頭の人は、他人から低い評価を受けたり、否定されるとすぐに情動がこみ上げてきてイライラしたり、落ち込みます。

そのために、自分が安心できる都合の良い思い込みの物語を作って、自分を守ろうとします。ちょっとでも思考に隙間があると、不安が入り込んでくるので、絶え間なく考えて、おしゃべりを続け、じっとしていられません。頭の人は、自分が胸の人の力に動かされていることに気がつかないで、盲目的に生きています。

頭の人は、常に恐怖や不安、怒りなどの情動を抑圧しているために、今ここに安らぐことができません。

損得、効率、外から植え付けられた知識で動く頭の人が多いのが現代社会です。

忖度(そんたく)、データ改ざん、セクハラ、業者との癒着や収賄など、キャリア官僚の劣化が指摘されています。

官僚になる人は、難関大学出身者でしめられています。

官僚試験も大学試験も、自己観察力、責任感、思いやり、ユーモア、感情の豊かさ、存在力などは評価されません。

学歴社会では、人々の苦しみを感じたり理解する共感能力を失った人々が、組織のトップの立場になる可能性があるのです。

共感能力を失った人々は、自分たちのグループだけの利益だけを考えて、環境と生命全体の利益は考えません。

そんな病的な偏った頭の持ち主に、権力と権限を持たせた社会の象徴的な事件が、科学技術の粋を集めた原発事故です。

原発の安全を唱える東大の学者も 経済の損失を唱える経済評論家も、 予断と偏見を持って市民の公平性を守らない裁判官も、巨額の原発利権に群がって原発企業と癒着した官僚も、頭が優位なのが特徴です。

世界のありようは、相互に関連し依存しあう、有機的に結合したダイナミックなシステムです。

しかし、上層下層の権力構造の歯車の一部となった官僚と政治家が権力を握る社会は、機能不全を起こしてあらゆる問題を発生しています。

頭優位の現代社会は、自己中心的に行動して全体との関係性を見失い、今やすべての命を滅ぼしかねない存在となっています。

私たちは、意識の統合という実存的変容をせまられています。

外から植え付けられた考えを鵜呑みにするのではなく、自分を誤魔化して他人に合わせるのではなく、外からの刺激に反応して機械的に行動するのではなく胸と腹の人はどうしたいのか 他人の考えにしたがうのを嫌がっていないか 頭の人は、胸と腹の人の話を聞く耳をもたないと よけいに苦しむばかりです。

難しく考えるのではなく偽りの自分を見抜いて 魂が震えるような 本当の自分の人生を

誰もが歩めるといいですね。