鬼退治
悲鳴はすぐに止んだ
ドラゴマンはアウトルが反応するより早く駆け出しす。街はもう目と鼻の先であり、噂の辻斬りに違いなかった
既に血溜まりができ、1人が横たわっている。あれではもう助からないだろう
長く艶のある黒髪を後ろに束ねた男が血溜まりの先に立っている
視線を顔に向けると、自ら斬り捨てた死者に黙祷でも捧げているかのように目を瞑っていた
直刀と曲刀の中間ほどの控えめな反りは、なるほど斬ることに特化しているのだろう。陽光が反射して鈍く輝く刀身。紫色の瘴気を纏っているかのような威圧感が、アウトルの見立てと違い妖しげな魅力を放っている
胸元に違和感。石が反応しているのがわかる。ジェネライトが暴走しているということだ
「当たりだな」
ドラゴマンが小さく呟くと、目を瞑ったまま右の眉が少し上がった
「こっちの話だ。あんたが噂の辻斬りだな」
「俺が鬼どもに何と呼ばれているかなど興味はない」
「鬼…?」
ドラゴマンは怪訝そうに聞き返すが、辻斬りはそれ以上口を開くことはなかった
紫色の瘴気がはっきりと目に見える。敵と認定されたのだろう
「村正、仕事だ」
刀身を撫でながら刀に囁くと、立ち昇る瘴気が消えて刀身が薄紫に光り出した
「無駄話は嫌いか?」
下段から振り上げる斬撃を何とか躱して問いかける
無駄のない鋭い剣技だった
辻斬りは無言で構え直し、じりじりと間合いを詰めてくる
ひとつひとつの動きは緩慢なように見えて一切隙がない
(こりゃ骨が折れるな)
何度目かの打ち合いを経て、相手の技量が想像以上であることはわかった
紙一重の攻防を何度も続けるごとに神経をすり減らす
相手の剣がドラゴマンの左肩を打ち付ける。プレートは肩と共に斬り裂かれ、溢れてきた血によって赤く染まった。ドラゴマンの鋒はまだ辻斬りの体に擦りもしていない
鎧も身につけず目さえ閉じたままの相手に攻めあぐねているのは屈辱だった
左腕を庇いながらの剣戟は冴えを失い、下段から右の腿を斬りつけられる
(これ以上はまずい)
何とか起死回生の策を考えなければ…頭に巡るはずだった血液のうちいくらかは肩と腿から流れ出てしまっている
その時、商隊の従者の絶叫が響き渡った
「おやめくださいアウトルの旦那!死んでしまいます!」
従者の声など耳に入っていないかのようにアウトルはこちらへ向かって大股で近づいてきていた
ドラゴマンも制止しようと口を開きかけるが、気を逸らした瞬間に奴が斬りかかってくるので受け止めるので精一杯になってしまった
「お前あの時の坊主だな!覚えてるか?お前にその剣を売りつけた店主だ!」
ギリギリとこちらの剣をへし切ろうとしているかのように押し付けてきていた剣を引いて、辻斬りは距離をとった
すぐに追撃に移りたかったが力を込めていた脚に力が入らず、千載一遇の隙を逃してしまった
アウトルは両手を広げて辻斬りをまっすぐに見つめている
辻斬りの方へ目を向けると、色白で凍ったように整っていたその顔は醜く歪んでいた
「見つけた…見つけた…見つけた…見つけた…見つけた…」
歪んだ顔は歓喜の表情なのかもしれない
長いこと表情を変えることもなく、自らが斬ってきた者たちの姿を見ぬよう目も閉じて、やっと取り戻した笑顔は…憎き相手を探し出した今、こうして歪んでいる
背筋が凍る表情だった
「そうだ、お前を奴隷商に売ったのは俺だ!そしてお前がここで辻斬りを始めるまで、そのことをすっかり忘れていた!」
アウトルは大声で続ける。辻斬りは左手に握ったままだった鞘に剣を戻し、直立の姿勢になっていた
「俺を斬ったらお前は辻斬りをやめるのか?街に危害は加えないか?」
両手を広げたままこちらへ一歩一歩近づいてくる
「やめろ!アウトル!逃げろ!」
ドラゴマンの制止すら耳に入っていないようだ
辻斬りはアウトルが叫ぶたびに感極まったように閉じたままの目から涙を流し続けていた
「私への復讐で終わりにしてくれ!街に危害は加えないでくれ!そう約束してくれ!」
涙と鼻水、唾を飛ばしながら大声で呼びかけるアウトルの首が宙を舞った
鞘から抜きざまに剣を振るったのだろう。衝撃波と風切り音が一瞬遅れてドラゴマンの耳に届き、さらに数秒遅れて商人の体が音を立てて倒れた
「教えてやろう」
辻斬りは感動に打ち震えるように声を絞り出す
剣を鞘に収めながらドラゴマンに向き直り、続ける。
「こいつは残虐な鬼の血を吸う聖剣、村正。嘗て鬼によって滅ぼされた国生き残りである刀匠村正の遺作であり、鬼を打ち倒すべく打たれた刀だ」
「鬼?鬼に滅ぼされた国?聞いたことねえな…」
殺意は感じない。十分距離もあるため片膝をついたまま会話に応じる
「遠い昔の遠いどこかのことらしい。知ってるか?このクリプト大陸の外にも世界が広がってるってことを」
いまいち要領を得ない。ドラゴマンが黙っていると、辻斬りは構わずに続ける
「我が母は海を越え、ここクリプト大陸にはるばる嫁いできたそうだ。島の名をザパンという」
東方の島国から嫁いできた女性、その息子。アウトルが話してくれた噂は本物だったようだ
「母はよく聞かせてくれたよ。この大陸の外にはまだまだ世界が広がっている、と。俺はその世界ってやつを見たくなった。小さな領地に留まっているなんて耐えられなかったのさ」
大陸の外にある世界…本当にそんなものが…
「旅に出た俺はいつのまにか鬼に囲まれていて、嬲られた。生きている中でこれ以上ないくらいの屈辱を味わった。その鬼の頭領がさっきの奴ともう1人」
記憶の混濁が見られる。実際には奴隷として売られ、その先でひどい目にあったのだろう
「この刀を手にした時、こいつは俺に語りかけてきたんだ。この鬼たちを斬れ、二度とこの世で暴虐を振るえぬよう血を残らず我に吸わせろ…とな」
どこまで本当かわからないが、たしかに気の毒ではあるだろう。しかしこれ以上好きにさせるわけにはいかない
「お前も鬼の仲間なのだな…悪しき魂は感じないが、村正がお前も斬れと騒いでいる」
言うなり腰を低く落とし、鞘に収まったままの剣の柄に手を添える
先ほどアウトルを斬った技だろう
この距離で構えるということは、既に射程に入ってしまっているということだ
ドラゴマンも鉛のように重くなった体を無理やり立ち上がらせ、構えた
刀身に魔力を込める
この一撃を無駄にすれば死ぬことになるだろう
そして奴は目を閉ざしたまま人を斬り続ける。鬼だと信じたまま
(放っておくわけにはいかないもんな)
そして、ほとんど同時に剣閃が放たれる