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命の授業

2022.07.11 05:44

Facebookおっちゃん、おばちゃんのゆるゆる倶楽部 投稿記事

3年前から各地の少年院で講演活動を行っているゴルゴ松本さん。

”漢字”を使った真剣な授業が感動的です。

ゴルゴ松本の「少年院での魂の授業」

辛いことがあった時、人はグチをこぼす。マイナスな言葉、弱音を吐く。

「吐」という字は、口へんにプラスマイナス。嫌なことは吐き出していい。

でも、そこから成功する人、夢を実現する人は少しずつ変化していく。

弱音は吐かない。ボジティブなことだけを言うようにする。マイナスな事を取っていくと夢は「叶」う。

自分の思っていた到達点に少し足りないと思ったら、軌道修正しながら、最終的な目標は変えない。

紆余曲折しながら、遠回りしながら、ここまで行けばいい。

これは危険だと思ったら回避する。危険だと思ったら、逃げていい。「逃」は、しんにょうに兆し。

そして、また時間をおいて、しんにょうを手ヘンに変えて「挑」挑戦するんだ。

「幸」と「辛」幸せでも、何かが欠けたら辛くなる辛くても、何かが加われば幸いになる

「苦」「困」「災」に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」こういうことが起こると不幸だと考えてしまう。

「難」が無い人生を「無難」という。無難な人生なんてありえない。だから、「難」が有る人生。「有」「難」と書いて「有難」し。

「命」は、人を一叩き(ひとたたき)と書く。

殴ったり蹴ったり、人を痛めつけることで命を感じる。これは大間違い。

寝てる時、無意識の時、今も叩き続けている心臓。

心臓の一叩きの連続が命。その命を命懸けで産んだのはお母さん。女性です。

命の始まりは女なんです。「女」が土「台」となって「始」まりとなる。

俺ら男は、女の人を粗末にしちゃ絶対ダメなんだ。

君らを産んだお母さんは命懸けで君らを産んだんだ。それは間違いない。

命懸けで産んだものが命なんだ。人間はそれを何度も繰り返してきた。

ここからは、皆が命を繋げていく。ここから出たら、命を広げて行ってください。

心に響いたら、感動の輪を広げていってください。

https://type.jp/st/feature/7668/ 【ゴルゴ松本が20代に捧ぐ「命の授業」特別編ーー兆しが見えないコロナ時代、逃げずに眺めて、挑もうぜ?】

ゴルゴ松本さんといえば、数々のバラエティー番組で活躍する一方、「命の授業」と題し、全国の少年院にボランティアで慰問を行っていることでもおなじみ。その魂揺さぶるメッセージが反響を呼び、2011年に活動を開始して以来、10年にわたって各地の少年院や刑務所を訪れている。

今、世の中は新型コロナウイルスという目に見えない危機と遭遇し、多くの人が不安を抱えている。そんな今こそ前を向いて踏み出すための熱い言葉が必要! ということで、編集部はゴルゴ松本さんの元を訪ねた。

迷える20代へ、20’s typeだけの「命の授業・特別編」が今、開講する。

TIM ゴルゴ松本さん

ワタナベエンターテインメント所属。お笑いコンビTIMのボケ担当。漢字研究家。2011年より少年院で、漢字の成り立ちを説明しながら社会で生きるヒントを示す「命の授業」というボランティア活動を開始

■著書:あっ!命の授業(廣済堂出版)、ゴル語録 命を磨くための50の言葉(文藝春秋)

■YouTube:ゴルゴ松本の命のGスポット!!

俺の20代は「本」だったね

20代か〜。懐かしいね。俺の20代といえば、21歳で芸能の世界に飛び込んで。最初は役者志望だったんだよ。

アルバイトして生活費を稼ぎながら、仲間と夢中になって夢を追いかけてさ。お笑いの世界を目指すことになったのは27歳の時。そこから最初の何年間かは芽が出なかったら、まあ俺の20代は言わば種撒きの時期だよね。

そんな俺の20代を漢字1字で表すなら「本」。「本」ってどんな言葉に使われてる? 「基本」、「手本」、「見本」……。そう、つまりあらゆることの土台、言い換えるなら根っこになるのが「本」。字を見ても分かるでしょ? 

木の根元に一本線を引いたら「本」。つまり、本は生きていく上での根っこになるものなんです。

俺、25歳の時にちらっと立ち寄った本屋で、1冊の本を手に取ったんだよね。それが、浄土真宗の宗祖・親鸞のことを書いた心についての本で。当時の俺は親鸞の「鸞(らん)」という字が読めなくてね(笑)。「これ、何て読むんだ?」っていうところからのスタート。

それでも、読んでみたら面白くてさ。そこから歴史の本から政治経済の本までとにかくいろんな本を読んだ。

きっと何かヒントを見つけたかったんだろうね。あの頃の俺は「本物」になりたくて、「本当」のことが知りたくて、そのために必要なものを自分が選んだ「本」から見つける作業をしていた気がする。

そして、あの時に「本」から得たものは今でも俺の支えになっている。根っこがないと生き物は育たないから。根っこを強くするという意味でも「本」を読むことはすごく大事。

20代なんて「未」でいいんだよ

だから、今、20代の人たちも今の段階で何者かになろうとしなくてもいいんじゃない? と思うわけ。だって、20代を漢字1文字で表すなら「未」ですよ。「未熟」の「未」。「未完成」の「未」。「未だ」何にもなっていないんです。だけど、その分、「未来」がある。

「未」という字の上の横棒がどんどん広がっていったらどうなる? そう、「末広がり」の「末」だよね。根っこさえしっかりしていたら、「末広がり」の「未来」が待っているんだよ。

じゃあ「未熟」で「未完成」な20代をどう過ごしたらいいか。いろんなものを「口」にしてみることだよ。「未」という字の横に「口」をつけたら「味」。人生は「味付け」です。酸いも甘いも、時には激辛も「味」わってみなきゃ。そのためにも、まずはいろんなことに「興味」を持ってみたらどう?

俺にとって「興味」を広げるきっかけは「本」だったけど、それは人それぞれ何だっていいわけ。とにかく「興味」を持って何でも「口」にしてみる。そうしたら、そのうちどれか一つくらい自分で「走」って「取」りに行きたいものができる。それが、「趣味」になるわけ。「趣味」ができたら楽しいよ。だって、それが人生の「醍醐味」だから。

「醍醐味」を見つけることは、つまり生きる「意味」を見つけることでもある。そして、そうやって生きる「意味」を見つけるまでに「口」にしたものすべてが人生の「味方」になる。そう考えるとさ、楽しいでしょ? だから食わず嫌いしないで、何でも「口」にすることから始めてみたらいいんじゃない?

失敗して間違ったっていいんじゃない?

そう言っても、なかなか腰が上がらない人もいるかもしれない。それはきっと失敗したり間違えるのが怖いからだよね。でも、仕事も人生もそうだけど、何事も「経験」なわけ。

この「経」も20代のみんなには覚えておいてほしい漢字の一つ。この「経」は「縦糸」という意味があるんです。「経」という字は「お経」とも読むよね。つまり、お釈迦さまが天から垂らす一本の「縦糸」のイメージ。それをみんなが登っていくことが、「経験」になるわけ。

で、この「経験」というのは何も成功だけを意味するんじゃないの。むしろ俺は失敗や間違いの方が大事な「経験」だと思っている。

俺だってありがたいことに芸人という夢を叶えさせてもらったけど、それまでにはたくさん失敗をした。俺だけじゃないよ。世の中をつくってきた人はみんなそう。失敗して失敗して、その先に成功があるわけ。いきなり成功する人なんていないよ。

だいたい失敗かどうかと判断するのも自分次第だよね。ダメなことがあったとしても、成功までのステップだと思えばそれでいいじゃん。何でも悪く考えたらどんどん気が滅入るし、良い方に解釈すれば気持ちも弾む。

一度きりの人生、嫌なことをいっぱい残していくのか、うれしいことを残していくのか、どっちを選ぶっていったら、答えは決まってるでしょ? 人生、恨みつらみが少ない方がいいに決まってる。ネガティブな発想って自分も苦しめるけど周りにも悪影響を与えるんだよね。だから、失敗や間違いを恐れるネガティブ思考は、20代のうちにどっかに捨ててきた方が間違いなく人生は楽しいよ。

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」って武士の上杉鷹山さんも言ってたけど、その通りだよね。やっぱり昔の人の言葉は真理だと思うよ。それだけ長く人から人へ伝わり続けているんだから、学ぶことは間違いなくある。

そう言うと、今まで何をやっても自分はうまくいかなかったって言う人もいるかもしれない。けど、そんな人には「継続は力なり」って言いたい。それは、うまくいく前に諦めちゃったんじゃないかな。しんどいとは思うけど、本当にやりたいことなら、「継続は力なり」って信じて、あともう少し続けてみてほしい。

夢が叶うのは20代とは限らない。30代かもしれないし40代かもしれないし50代かもしれないし、もしかしたら死ぬ直前かもしれない。それは誰にも分からない。だからこそ、頑張る、踏ん張る、乗り切る、やり切る。それしかないと思う。

「逃げる」か「挑む」かはいつだって自分次第

今はこういう時代でみんなしんどいし、不安じゃない? それは俺も分かる。俺なんて今年に入って仕事がまったくないわけ。そうすると貯金を切り崩さないといけなくなるじゃん? 人によっては大変ですねって憐れむかもしれないけど、俺はそうは思わない。だって、この状態が一生続くわけじゃないからね。

だから、この時代を生きるみんなに覚えていてほしい漢字は「兆」。「兆し」です。今はどっちに行けばいいのか「兆し」が見えない時代。ここにしんにょうをつけたら「逃げる」になるわけ。本当にしんどいならね、「逃」げてもいいと思う。でもずっと「逃」げ続けていたら「逃」げっぱなしの人生になる。それはつまらないでしょ?

だから、こう考えてください。「逃」げるんじゃなくて、高台にのぼって「眺」めにいくんだって。そうやって見晴らしのいいところから今の自分のいる状況をしっかり「眺」めた上で、一度冷静になってみる。そしたら何をやらなきゃいけないか「兆し」が見えてくるから、それが分かったら準備をする。で、準備ができたら「挑む」の。経験を積むには挑戦が不可欠。

ボクシングに例えると、すげえ強いチャンピオンに「挑」むチャレンジャーがいたとします。そりゃあ負ける可能性の方が高いのかもしれない。だけど、もしかしたら勝てるかもしれない。それは勝負が決まるまで分からないけど、少なくともチャレンジしない限り、勝利も敗北もつかめない。「挑」まなきゃ始まらないんです。

そして「挑」めば必ず何かが「学べる」。「挑」と「学」。このふたつがセットです。20代のうちにどんどん「挑」んで「学」んでほしい。

そして何より「生きて」ほしい。「生」という字は、いちばん下の横棒が根っこなの。で、そこから茎が伸びて葉っぱが生えて「生きる」という字になる。面白いでしょ?

つらいことはいっぱいあるけどさ、でもどんなことがあろうと「生」きていてほしい。「生」きていればきっと何かあるから。飯が食えなくても10日くらいは平気。それは、20代の俺が実証済みだから(笑)

それに、本当に食えなくて、どんどん痩せていったら周りのみんなが「大丈夫?」っておにぎりでも作って食わせてくれるの。ありがたいよね、人って。だから、もし「生きる」のがしんどい人がいたら誰かに頼ってほしい。助けてくれる人はきっといるから。

みんなよりちょっと先に「生」まれた先輩として、そう伝えたいかな。

取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太