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富士の高嶺から見渡せば

安倍総理殺害で呼びかけられた在日ヘイトクライムへの警戒

2022.07.11 07:46

<中国では「安倍死去祝賀セール」も>

安倍元総理の暗殺テロをめぐり、中国でも韓国でも日本でもSNS上では、その逝去を悼む声もあれば、あからさまに快哉の叫びをあげる現象もある。

とりわけ中国では、商店や飲食店などの入り口に、「安倍帰西(アベが死んだ)、普天同慶(世界中の人が一緒に祝おう)、全店買一送一(全店で一つ買ったら一つプレゼント)」など書いた赤い横断幕を張り出して客を誘っている。レストランのTikTokでは「為慶祝安倍帰西(アベ死去を祝って)、店内商品全部8折(店内商品すべて20%引き)、粥全部免費(お粥は全てタダ)、普天同慶」などと宣伝している。また若者たちが集まるダンスホールのような場所では、ディスクジョッキーの後ろの大型画面には安倍総理の顔とともに「死得好(よく死んでくれた)普天同慶、歓天喜地(天地も歓喜する=大喜び)」と表示されていた。そして日本の居酒屋では在日中国人だというグループがスマホの安倍さんの写真に向けて「祝杯」だとして盃を上げる写真が投稿されている。

いずれも中国人の残酷な民族性、人倫・道徳が地に落ちた国であることがよくわかる。こうして平然と人の死を喜ぶという態度を堂々と人前に見せることについて、恥ずかしいとか、人倫に照らしてどうか、と省みることもせず、一方、これを見た客も何の抗議もせず、それを当然のことと考え、その利益にあずかることに何の疑いも抱かない人々、社会なのである。

<「抗日テロ」を日常的に学ぶ韓国>

同じ状況は韓国でも見られた。安倍元総理銃撃のニュースは、事件発生直後からネットニュースで速報として伝えられ、記事には直ちに、「撃った人は抗日英雄だ」「死亡記事はまだ出ないのか?」「愉快なニュース」などのコメントが並び、銃撃事件に快哉を叫び、銃撃犯を称える一方、安倍氏の一刻も早い死を望むかのような酷い言葉を残している。

こうした韓国国内での反応を見た日本人は、Twitterなどに「人として見るに堪えない」「反吐がでる」といった感想とともに、韓国ネット市民の残酷さ、倫理観の無さを驚きとともに伝えている。韓国ではもともと、日本に対してなら何を言っても、何を行っても構わないという風潮が充満している。

韓国では、1909年10年、ハルピン駅構内で伊藤博文を銃撃・暗殺した安重根(アン・ジュングン)や1932年4月、上海で行われた天皇誕生日の祝賀式典で爆弾を爆発させた尹奉吉(ユン・ボンギル)などのテロリストを「抗日義士」、「民族の英雄」として、大きな記念館を作って顕彰し、殉教者のごとく崇め奉っている。

一方、1919年9月、南大門駅前で新しく着任した斎藤実朝鮮総督の一行に手りゅう弾を投げつけ、警護の警官や見物の野次馬など30人余りを死傷させた姜宇奎(カン・ウギュ)の銅像がソウル駅前の広場の中央に立ち、1932年1月、昭和天皇の車列に手りゅう弾を投げつけた桜田門事件の「大逆犯」李奉昌(イ・ボンチャン)の銅像がソウル孝昌公園の金九記念館の前に立っているが、いずれの銅像も、手りゅう弾を右手に持ち、投げつけようとする瞬間の姿を表現したもので、テロ行為そのものを具体的にイメージさせ、それが日本を対象とした時には「正当な行為」であり、推奨すべきものとして描いているのである。

世界には韓国を除いて、テロ行為を正当化し推奨する国など、どこにもないだろうと思うが、韓国では、教科書でも、さまざまな歴史関連の博物館や展示施設、それに日本統治時代を描いた歴史ドラマや映画でも、そうしたテロ活動が英雄的行為だとして学ばされる機会、場面は多くあり、ある意味、テロ行為自体はそんなに遠い世界の話ではなく、ごく当たり前に自分の身の回りにある出来事だと考えているのかもしれない。今回の安倍元総理の銃撃暗殺事件に対して見せた韓国のネット市民たちの残虐、冷酷な反応を見れば、そうであるとしか考えられない。

                                                                    (ソウル駅前広場の「姜宇奎」像)

<安倍元総理殺害が在日韓国人へのヘイトクライムを誘発?>

ところで、安倍元総理に対する銃撃事件が伝えられた直後、日本のネット市民たちの一部には、現行犯逮捕された容疑者の「国籍」を問題にする声があがり、在日韓国・朝鮮人の可能性について触れたものがあったという。これに対して、在福岡韓国総領事館は、<身の安全注意のお知らせ>という緊急通知を出し、「7.8安倍前首相襲撃状況が発生したことにより、韓国国民対象の嫌悪犯罪(ヘイトクライム)の可能性が提起されたところ、注意喚起のための安全公示を掲載します。危険地域には近づかず、身の危険を感じたり危険な状況が発生した場合、直ちに公館緊急電話および警察(110)に通報してください」というショートメッセージを一斉に流した。

さらにソウル在住のジャーナリスト徐台教(ソ・テギョ)氏(「ニュースタンス」編集長)は、事件発生直後からTwitterで「もし、万一、加害者が外国系の人物だった場合、社会の混乱を招かないようメディアはしっかりして欲しい」。「正直いま、安倍元首相が一命をとりとめることと同じくらい、犯人が外国系の人物でないことを祈っている」。「『今言うべきことではない』みたいな反応があるが、今言わなくていつ言うんだよ。99年前の9月を忘れたのか?」などと次々に書き込んだ。要するに、1923年9月1日に発生した関東大震災の際に、当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語により多数の朝鮮人が日本の市民や官憲により虐殺されたという「記録」があると主張し、関東大震災のときと同じような状況が、現在の日本で再現される危険性について公然と主張したのである。

その詳しい経緯と背景は、徐台教氏がYahooニュースの個人サイトで「安倍元首相銃撃事件への怒りが、在日コリアンに向かうとき」と題して発表している。

徐台教氏は、自身のプロフィールを「群馬県生まれの在日3世」と紹介しているが、現在の日本で本当に大正時代のような状況が起きると信じているのだろうか?在日コリアンの人たちが日本に定着して何年が経過するのか?日本に帰化しようとしまいと、通名でいようといまいと、そのほとんどは日本に溶け込み、隣近所の隣人として暮らし、日本社会の一員として活動し、会社の同僚として働いている。そういう人たちに対して、何か事件が起きたからといって、身近な日本人が突如、豹変し、危害を加えると本気に思っているのだろうか?

<関東大震災と同じ状況が生まれるだって?>

関東大震災におけるいわゆる朝鮮人虐殺事件については、かつてこのブログでも書いたが、犠牲者6000人という数字は、当時、上海で発行していた上海臨時政府の独立新聞が根拠も示さずに取り上げた数字に過ぎない。ブログのその部分を以下、再録する。

<2021/02/14「歴史から解放され自由になる」ことを考えるとき>

それにしても朝鮮日報東京特派員李河遠(イ・ハウォン)記者が書いた2月13日付けコラム「『十五円五十銭』を練習する在日韓国人」には、日本人として度肝を抜かれた。

日本で生まれ60年あまり、完璧な日本語を話すある在日韓国人2世が「日韓関係が最悪の状況に向かうと、『十五円五十銭(じゅうごえんごじっせん)』と発音してみる習慣がついた。私の発音が本当の日本人と同じか確かめてみるのだ」と話したという。関東大地震(1923年)の直後、「朝鮮人が暴動を起こし、井戸に毒を入れた」などのデマが広がると、各地に自警団が組織され、朝鮮人らしき人を見つけると「十五円五十銭と言ってみろ」と怒鳴りつけ、正確に発音できないと、その場で虐殺した、という在日の人々の間で語り継がれている故事が背景にある。現代の日本人が「十五円五十銭」などという言葉を使うはずもなく、韓国人には「ざじずぜぞ」の発音が難しいという事情を知っている日本人もそんなに多いとも思えない。記者が「まさかそんなことが再び起きるだろうか」と問い返すと、彼は「一寸先も見えない状況が続けば、10年後に私のような在日たちの生活はどうなるかわからない」と真顔で答えたという。

冷静に考えて、現在の現実の日本人が在日韓国人を平気で殺害する人間だと考えているとしたら、本人の精神的な健康のためにも、いますぐに日本を離れてよその国に移住したほうがいい。われわれ日本人にとっても、本気でそんなことを考えている人がすぐ隣に暮らしていると思ったら、そっちのほうが不気味でいたたまれない。

しかし、朝鮮日報の李河遠という特派員は、こんな話を本気で信じて記事にしたのだろうか。記事の中で、韓日関係を「銃声のない戦争」だと表現し、関東大震災で犠牲になった朝鮮人被害者を何の根拠、出典も示さずに「6000人以上の韓国人に対する人種虐殺が歴史に記録されている」と記しているところを見ると、歴史をいいように材料に使い、韓国の読者に反日感情を煽り立て、日韓間の亀裂を深めようとしているとしか思えない。

因みに関東大震災における朝鮮人の推定犠牲者については、数百人から約6000人まで諸説あり、6000人以上だという数字は、当時の上海臨時政府機関紙「独立新聞」1923年11月5日付けに記載があるだけで、日本の史学者山田昭次は、不正確な数字だとしている。<Wikipedia 関東大震災朝鮮人虐殺事件>

一方、日本政府は平成29年11月10日、初鹿明博衆院議員提出の「関東大震災における朝鮮人虐殺に関する質問書」に対して「関東大震災に際し、流言蜚語による殺傷事件が発生し、朝鮮人が虐殺されたという事実」、「関東大震災に当たって発生した殺傷事件による犠牲者の総数」、「政府として把握している犠牲者の数」については、調査した限りでは、政府内にそれらの事実関係を把握することのできる記録が見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である、と回答し、この政府答弁が日本の公式的な立場となっている。

さらに、朝鮮人虐殺はなかったと否定する工藤美代子「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」(産経新聞出版2009年)という本さえある。(再録終わり)

<他国の民主主義の結果は尊重すべきだ>

このブログでも書いたが、日韓関係がこじれた際や何か事件があった際に、在日コリアンの人たちが、本当に身の危険を感じているのだとしたら、別段、危害を加えようとか、ヘイトクライムをしようなどと考えたこともない私たち一般の日本人にとっては、驚きであり、そんなことを考え、恐れ戦(おのの)いている隣人がいると思うと、いたたまれないし、かえってこちらが不気味になる。「十五円五十銭」と本気で口に唱えている人がいるとしたら、本人の精神的健康のためにもよその国に行ったほうがいい。

それにもう一つ、安倍元総理殺害事件をめぐって、中国や韓国でその死を両手を叩いて喜ぶ人たちがいるという事実は、選挙という民主主義的な手続きを経て、日本の国民が自分たちの代表として選び、政治指導者としての役割を託した人物だということを忘れてほしくない。多数決で決まったことは尊重し、それに従うというのは、民主主義の重要なルールだ。選挙がない中国では民主主義の理念が通じないのは仕方ないとして、一応、民主主義国の体裁をもつ韓国は、他国の選挙の結果や国民の選択に対して、敬意を払うというのは最低限のマナーであろう。韓国では5年前、選挙で選ばれた大統領でさえも、国民感情に沿わなければ弾劾し追放しても構わないという前例を築いたが、それは他国には適用できない。

そして国と国の約束は守れ、法の支配と秩序を守り、力(暴力)による現状変更は拒否するというのは、安倍総理が主張した国際関係の基本中の基本でもある。