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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

近代アジアの動乱8-アロー号戦争勃発

2022.07.11 11:28

太平天国で揺れる清朝に、1856年10月8日「アロー号事件」が起きた。英国船を名乗る香港船アロー号に、清朝官憲が臨検して船員を海賊容疑で逮捕した。ところが英国領事は臨検は不当であると抗議、海軍は広州付近の砲台を占拠した。内憂外患というのはこのことだ。

それ以前にも、広州では、外国人排斥が起き、外国人が暴行される事件が多発していた。イギリスはその取締りや、新たに貿易港を開くように要望したが、らちあかず、またもや武力に訴えるしかないと思っていたのである。パートマン英首相は一旦議会に否決されると、解散して選挙に勝利して開戦を決めた。

イギリスは仏皇帝ナポレオン3世にも出兵を呼び掛け、これ幸いとばかりにフランスも戦争に参加する。英仏連合軍は広州を制圧し、さらに北上して天津も制圧してここで58年6月に天津条約を結び、10港の開港、治外法権、賠償金、キリスト教の布教、さらにはアヘンの合法化という天津条約を結んだ。

ここで安心した連合軍は引き上げるが、中国の反西洋の気運はさらに高まった。各地で太平天国のような反乱も起きていく。59年6月17日、天津条約の批准のため、天津に向かう連合艦隊は、進軍を阻まれ、清朝からの砲撃を受けた。軍艦12隻、死傷者500人という大被害を受け、上海に撤退することになった。