講談最前線(補)~神田紅佳の講釈師としての矜持
※拙著『講談最前線』(彩流社)内の「若手講釈師群像~神田紅佳」とあわせてお読みください!
先日、神田伯山先生のツイートで、なるほど!というコメントを目にした。自分の会に出演した紅佳さんの高座に接して、〈舞台度胸というか、豪快な荒事のような読み口も魅力なんですが、昨日はまた違う一面で表現の幅を感じました〉としていたのだ(2022.6.14.ツイート、「第3回神田伯山PLUS」)。
この「荒事のような読み口」というたとえは、男っぽい読み口というのではなく、大胆な演出を用いて、物語の核心に迫る読みと言えば良いだろうか。歌舞伎で「荒事」と言えば、そこに超人的な存在が登場する意もあるので、最近の紅佳さんの話には、狐や幽霊、そして人を脅威にさらす虎が活躍したり、人間に似ながらもどこか秘めた力を持った存在が姿を現わすだけに、そうした面でも「荒事」という表現があてはまってくるかも知れない。
語弊を恐れずに記すならば、複雑な筋を緻密に読み進めていくというより、物語の全体像をまずとらえて物語のテーマを見出していく。そして、キャラクターの魅力を最大限に引き出していく「荒事のような読み口」が話の展開を更に盛り上げており、それが神田紅佳の魅力につながっていると改めて思うようになった。
そう考えた時、”講談は何を題材にしても、何を読んでもいい”。それはこれまで再三主張してきていることで、その考えは今も変わらない。ただし、演者によっては講釈師としての矜持があり、その「何でも」に対して、「……」という考えを持つこともある。
だが紅佳さんに関しては、アナウンサーにキャスターという経験。韓国での長年にわたる生活。最近ではノンカフェイン生活(?)と、ユニークな人生を歩んできているからこそ、それを一席物(勿論、連続物でも!)にして、そこに自らの感想や意見を盛り込んで読んでいくというのも、紅佳風講談として面白いのではと思っている。例えば、「痛快★ベニカメラ」で取り組んでいる「今日は何の日」もまた、ニュース性の強い、いわば講釈の原点たる講談として立派な話になるはずだ。
今、墨亭では、午前中の会の他に「夜の紅佳」という会を開いている。話を作って来て欲しい!という宿題に対して、これまで『鬼山御前』『上野動物園象物語』といった話を作り、演じてきた。特に「夜の紅佳」は新しい読み物に取り組んでいく場であるので、それこそ何を読んでもいいと思っている。裏を返せば、新しい読み物を提示できなくなった時、この会は……とさえ考えている。実はそんな覚悟を持っての会であり、それだけに聴き手の期待に応えなければいけない場でもあるのだ。勿論、これは演者である神田紅佳への強いプレッシャーでもあり(笑)、毎回楽しみな会でもある。そんな神田紅佳の高座を厳しい目で見つめて行きたいと思っている。(雅)