うたうたい 堺輝

フィッシングポイント

2007.08.01 06:41


バイト先の近くにある何かの事務所の前に、朝顔が咲いてた。
夏が終わる頃、種をもらえないか尋ねようと思う。


新しいギターは弾く毎に馴染んで来るようでひたすら楽しい。ただ、ただでさえボロアパートでアコギを弾くのはためらわれるのに、素晴らしい響きをしてくれるものだから、気が気でない。
まぁいいか、怒鳴り込まれたらそこで考えよう。

おかげでたくさん新しい曲のかけらが集まって来た。

最近はテレビもインターネットもないので、部屋の中で音楽を聴かない。パソコンは借り物のノートがあるけど、ライブDVDをチェックする以外はiPodの充電をするくらい。

確かに電車の中で暇潰しをするには、そのメロディラインと追いかけっこするのは楽しい。
だけど、それも最近しなくなってきた。
もっといろんな「音」が聴きたい。街や人や自分以外の何かが奏でるメロディに耳をすますと、実に楽しい。

電車の車輪がレールの上を走る不規則なリズム。
微かに聞こえる蝉時雨の偶然の和音。
子供が発する黄色い声。

それを聞いているだけで、僕は何をすればいいか分かる。


僕も昔は「曲は何かの拍子に降りてくるものだ」と思っていた。
だから、ウンウン唸ってギターとペンを握っていたって、いい曲は出来ないと思っていた。

確かに神懸かり的に名曲が生まれる瞬間は、ある。
確かに、ある。

でも今は違う。
ウンウン唸って捻り出した曲が多ければ多いほど、その「降りてくるもの」が多くなる気がする。

どうせ日々の暮しの中での悩みだって、ウンウン唸って結局答えが出ないものばかり。
答えは出ているのに、その答えを受け入れることが出来ないだけだったり。

「だって、」とか
「でも、」とか
「どうせ、」とか
そんな言葉で逃げてるだけだもの。


日々の暮しがそうであるなら、生まれる唄がそうでない訳がない。きれいごと言い続けるのは疲れるんだよ。


この前読んだ雑誌の特集記事で、映画監督デビットリンチのインタビューが載っていた。生憎僕は彼の映画のうち、ストレイトストーリーしか見たことがないが、実に好きな映画の一つである。

何気なく読んでいると、彼の言葉で非常に共感する言葉があった。

「アイディアというものは魚釣りみたいなものだよ。ただひたすら釣竿を投げて、魚がいるポイントを探す。
深みにいたり、よどみにいたり。
傍から見ればそれは釣れない釣りをしているように見えるだろうけど、それは違う。
常にフィッシングポイントを探しているんだ。」
とかなんとか、そんな内容だった。
一言一句彼の言葉じゃないかもしれない。そこまで覚えてないんだ。でも僕の中では、彼がそんな風に語ってくれた気がした。


教えてくれたお礼に彼の新作映画を観てあげようと思う。



さ、楽しくなるぞ。


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