僕とアルパカ
僕が住んでいる街の天気予報で
明日の明け方に雪マークが付いていました。
いよいよです。こんばんは。
あきらです。
先日、ブログのコメントで
こんな内容のものがありました。
要約です。
16年ほど昔、あるストリートライブをしていたバンドマンに
「歌詞を聴くのが好きだ」と手紙を書いて渡しました。
ある日、他のお客さんもいる前で「ライブに来て歌詞を聴くな」と言ったそうです。
ご本人曰く、「もっと音を感じろよ、という意味でしょうが」
と仰ってましたが、そんな方もいるんですねー。
ちなみにそのバンドマンが今も音楽を続けているかどうかは知りません。
きっとやっていないでしょうけど。
どうなんですかね。
もちろん、音を感じろよ、というのは分かります。
でも、そんな言い方しなくてもねーな感じです。
尚更、僕は作詞もしますし作曲もします。
リラックスして曲を書くことは大事と思いますが
手を抜いてつくったことはないです。
けど、作り手のこだわりなんて
意外と聴き手には意味なかったりしますからね。
ミュージシャンあるある話でよくあるのが
「えらく時間をかけてつくった大作より、5分で書き上げた曲の方が評価が高い」
ってやつです。
そんなもんなんですよね。
作り手のこだわりは、あくまで作り手の自己満足であって
聴き手にとってみれば、その曲を聴いた聴き手の持つイメージが全てじゃないですか。
それを、「こういう風に聴け」なんて強要するのは
あまりにおこがましいことだと思うんですよ。
隠し味は、隠れてるから隠し味であって
食べてる人に言う必要ないじゃないですか。
「美味しいかどうか」だけでいいんですよね。
「隠し味、セロリでしょ?」って聞かれたら
「ぶぶー、僕の髪の毛でしたー♪」って答えればいいだけでしょうし。
そんな僕の最近のプロフィール写真だって、
友人から見ればこんなもんですよ。