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命とは、人間が持っている時間のこと

2022.07.13 06:31

Facebook市堀 玉宗さん投稿記事 〇生きることは「流れ」そのものです。

道元禅師は「時は有なり。有は時なり」と諭されました。「時」とは「いのちそのもの」ということ。「時」とは「無常」「流れそのもの」であり、それがそのまま「有」「いのち」であるというのです。「無常は仏性なり」という言葉もあります。いのちは「流れ」をその本質、面目、醍醐味、真相としています。「流れそのもの」が全てであるということ。人の一生とは「流れを学ぶ旅」「流れながら流れを学ぶ道程」です。

 仏道がありのままに生きることを理想とするのには、流れに逆らって生きようとする本末転倒があるからです。溺れる者藁をもつかむという。その真相は、流れにあって藁を掴むから溺れるのです。世の中には様々な「藁」があります。お金、名誉、肩書、等々。人生という激流を乗り切るのに藁よりも大きな船であるに越したことはないように思えますが、わが身の器以上の舟もあろう筈もありません。小さすぎて流れに翻弄させそうだし、かといって余り大きすぎては座礁するということもあります。

 諸行無常の流れを生きるコツ。それは力を抜いて流れに身を任せ、心を任せて生きることが最善です。力を抜けば自然と水に浮きます。身を捨てて浮ぶ瀬が確かにあります。というより、流れそのものが、わが身わが心が浮ぶ瀬ではないのでしょうか。今、ここ以外のどこにも浮ぶ瀬がありはしません。

 人は倒れたところかしか起き上がることはできません。今に倒れ今に起き、流れに倒れ流れに起き上がる。いのちは一度だって流れを止めたり、遡ったりはしません。いのちは迷うことなく、生老病死そのときそのときの風景があるばかりです。出会いや別れがあります。迷いや覚りがあります。苦楽や希望や絶望があります。初心があり、末期があり、今があり、永遠があり、眼差しがあり、救いがあります。それもこれもすべて「流れ」の為せるところのものです。

 いのちとは流れそのもの。それだけが第一義としてあります。仏法に奇特なし。まさに日々是好日なる所以です。娑婆世界の喧騒とは流れの間に間に浮んだ欲望や妄想の泡沫に過ぎません。何ものにもとらわれず、飄々と流れのままに生き死にする。本来、握るべき藁もありません。「本来無一物」という壮大な流れの世界があるばかりです。いのち、大事に。合掌。


https://55life555.blog.fc2.com/blog-entry-265.html 【人生を変えた言葉、「命とは、その人が持っている時間のこと」】より

雑誌やネットで見かけた中から、私的に印象に残った話をいくつか紹介したいと思います。

聖路加国際病院の名誉院長である日野原重明先生:「命とは時間」

聖路加国際病院の名誉院長である日野原重明先生は、二週間に一回、小学校に出向いて、十歳の子ども達を相手に四十五分間の授業をやっているそうです。

日野原先生が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。

子どもたちに、「命はどこにあるの」って質問すると、心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。

先生は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けます。

心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。

君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。

空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? 

でもその空気があるから僕たちは生きている。このように本当に大切なものは目には見えないんだよ。

そして先生が言うのは、

命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。

どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい。


https://www.huffingtonpost.jp/2018/01/27/hinohara-sigeaki-words_a_23345171/ 【日野原重明氏が遺したメッセージ「命とは、人間が持っている時間のことです」】より

「十歳のきみへ」に書かれていること。

聖路加国際病院の日野原重明・名誉院長が105歳で亡くなって半年。医師として診察にあたる傍ら、シニアの新しい生き方を提案し、子どもたちにいのちの授業をしてきた。その内容を盛り込んだ「十歳のきみへ 九十五歳の私から」(冨山房インターナショナル)は、亡くなった後に改めて注目されている。私は出版された2006年、日野原先生の授業を取材した。当時のエピソードや、親交のあった人たちの話を紹介する。

●命とは持っている時間のこと

日野原先生は、自殺やいじめの報道に心を痛め、90歳ごろから「10歳の子たちに思いを伝えたい」と出張授業を始めた。私が取材したのは、関西にある小学校の5年生の授業。94歳の先生は、すたすたと歩いて登場し、立ったまま話した。そのパワーに驚いた。

先生はレモンや玉ねぎを並べて、心臓の大きさはどのぐらいか問題を出した。こぶしぐらいの大きさだと説明し、子どもたちは聴診器で心臓の音を聞き合った。

「心臓は生きるために必要だけど、そこに命があるわけじゃない。これから一番、大切なことを言います。命とは、人間が持っている時間のことです」(日野原先生)

そして朝から何をしたか、子どもたちに聞いた。ご飯を食べた、勉強したと声が上がる。「どれも自分のためだけに時間を使っていますね。これからはだれかのために時間を使ってください」と語りかけた。

参加した子に感想を聞くと、「妹ともっと遊んであげたい。お母さんの手伝いをしようと思う」とまっすぐに話してくれた。

●子どものけんかと戦争、わかりやすいたとえ

「十歳のきみへ」で、こうした話をわかりやすくまとめている。先生が10歳の頃、母が病気になって死ぬのではないかと不安になったこと。医学生の時、結核にかかり寝たきりで過ごして時間を失ったと思ったけれど、「痛みを知る」という医師として大事な経験をしたこと。

「今日きみが失敗して、みんなに笑われてなみだをこぼした体験は、いつか友だちが失敗したときに、その気持ちをだれよりもわかってあげられるためのレッスンなのかもしれません」

日野原先生がずっと伝えたかった平和についても、ページをさいている。関西の授業でも、「50年たってみんなが60歳になったら、戦争のない平和な世界になるように、いまから考えてください」と訴えていた。

「相手にこぶしをふりあげるのを、ちょっと待ってください」

「争いの根っこにあるにくしみの感情。それをコントロールできるのは自分だけです」

子どものけんかと世界で起きている争いを結び付け、「自分はこんなに痛い思いをした。でも、相手も深い傷を負っていたんだと気づくことができれば、和解の第一歩になると信じています」と説く。

「にくい相手をゆるす。その勇気で、争いを終わらせることができます」

「知るということをもっと大事にしてください」

●「きみたち、よろしくたのみますよ」

私が日野原先生の授業を取材してから10年ほどの間にも、国内外で争いや災害があった。私は親となり、20年勤めた会社を退職し、様々な感情を味わった。

昨夏はドイツでイラクやシリアからの難民に出会い、東北を応援する記事も出している。いま日野原先生のメッセージを読み返すと、痛みを知ること、想像することの大切さが大人にも響く。

「戦争の経験のないきみたちには、いまも世界の各地で続いている戦争で、人々がどれだけ多くのものをうしない、深い悲しみのなかにあるのかを想像するのはたしかにむずかしいことかもしれません」

「けれども、きみ自身が感じる、痛いとか、つらいとか、悲しいとか、苦しいといった感覚や感情をたよりにしてほかの人のことを深く察するのに務めてみてください」

本の最後は、このメッセージで締めくくられている。

「きみたちならば、わたしたちにできなかった平和を実現してくれると信じています。どうか、きみたち、よろしくたのみますよ」

●晩年まで出張授業へ

本書から教科書に収められた章もあり、73刷となった。英語版も出版されている。版元の冨山房インターナショナル・坂本喜久子さんによると、亡くなった後も注文が相次いだ。

「日野原先生とお付き合いして感じたのですが、人間は10歳までにおおよその生き方ができあがるのではないでしょうか。親や祖父母も含め、保育・教育に関わる大人たちが愛情を注いで導いてあげたら、その後の思春期を上手に渡っていけると思います。日野原先生の命へのまなざし、相手を許す教えは、そのために大事です」(坂本さん)

●ミッションを持っていた

本の装画・挿絵を担当したはらだたけひでさんに、思い出を聞いた。

「先生のゲラを読み、触発されて描きました。やさしい文に即した柔らかい、カラーの切り絵です。私は絵本も出していますが、一番、凝りました。当時の先生は忙しさの絶頂。それでも完成を見て、ありがとうと言われました」

一貫した命への問いかけに、はらださんも共感してきた。「先生はよくミッションと言っていました。私自身、50~60代になり、死や老いとリアルに向き合うようになりました。いつでも死を受け入れられるよう、自分ができることに力を傾けて一生懸命に生きたいと思っています」

●長く生きるのが希望ではない

日野原先生は、出版してからも出張授業の問い合わせに丁寧に対応し、104歳まで足を運んでいたそうだ。私は2016年の年末、聖路加国際病院内で開かれた職員による「第九」の演奏会を取材した。日野原先生が車いすに座って現れ、演奏をほめたたえた。歌のドイツ語にちなんで「ダンケ・シェーン!」としめくくり、会場を沸かせた。

同病院ブレストセンター長の山内英子さんは、外科医として駆け出しの頃から日野原先生と交流があった。

「先生が10歳だったのはすごく前なのに、子どもに対してもニーズがわかる。ご自身の経験も大事、その上に時代に合わせてお話を組み立てるのがすごい。私たちが講演をお願いすると必ず来て、メンバーに合わせて即時にメッセージを出してくださいました」

若年性乳がん体験者の会で、日野原先生は「一分一秒、長く生きることが希望ではない。いつか命は尽きるけれど、与えられた時間を人のために使い、最後の瞬間まで神様に用いられることが希望」と話した。「その通りの生き方でした。かなうかどうかは神の手に委ねられているけれど、もう一度、講演に立つという希望を持っていました」

山内さんは病院の仲間と、延命治療を選ばず自宅で過ごしていた日野原先生を訪問。「私はクリスチャンとしてつながりがあったので、一緒に賛美歌を歌い、祈りました。先生が大事にしていた『患者に愛を与える』という理念は、病院のスタッフに受け継がれました。それぞれが自分の役割を体現しようと頑張っています」


https://gakuen.koka.ac.jp/archives/631 【みんなが同じいのちをもっているのだから

ぼくたちは兄弟姉妹だといえるんだね (日野原 重明)】より

日野原 重明さん(聖路加国際病院理事長・同名誉院長)の詩集『いのちのバトン』の中の「いのち」という詩の一節にあることばです。

日野原さんは、97歳の今も現役の医師として患者さんの診察をされていますが、同時に小学生に対していのちの授業も数多くされています。

この詩は、人間も牛も鳥も昆虫も花も木もすべて生きているからいのちをもっている、みんなが同じいのちをもっているのだから兄弟姉妹だといえる、と詠まれています。

この詩から私のいのちは、私だけのいのちではなく、すべてのものによって生かされている いのちであり、遠い過去から引き継がれてきたいのちであること、平等で掛け替えのない尊い いのちであることがわかります。また、私達一人ひとりが、いのちあるもの全ては兄弟姉妹だ ということを憶念すれば、戦争はなくなり平和が必ずおとずれる、そういう願いを込めて詠ま れた詩だと言えます。

私達は、人間関係に悩んだり、仕事がうまくいかなかったり、不安なことがあると孤独で あることを実感します。人は、誰にも代わってもらうことのできない孤独ないのちをひとり 生きなければならない身であると言わざるをえない状況になります。

しかし、この詩を通してあらためて考えてみますと、私のいのちというのは、他のいのちと互いに深く関わり合い、支え合い繋がりあっているいのちだということがわかります。 その深いいのちのつながりを自覚することにより、決して孤独ではなくひとつの共なるいのちを生きているということが顕かになります。そのことによってはじめてすべてのいのちあるものは、兄弟姉妹だということができるのではないでしょうか。

宗祖親鸞聖人は、仏の教えを仰ぎ「共に」生き、喜び、悲しみ、励まし合う仲間を「御同朋」と私達に呼びかけてくださっています。

世界中の人々が共に手を携えて、同じいのちを生きるものとして思いやりのこころをもって接すれば兄弟姉妹のようになれるはずです。

日野原さんの理想とされた真実の世界になることを願って止みません。(宗)


http://www.caresapo.jp/senior/health/health/83dn3a000000oeh1.html 【第69回 子どもとの対話から生まれる「いのちの授業」(2)】より

導入は「いのちの直線」から

 私は小学校を訪れるときには、事前に校長先生、または担任の先生と打ち合わせて、その学校の校歌の楽譜を入手します。そして、私の紹介などは後回しにして、校歌の前奏がピアノかクラビノーバで演奏されているところで、大きく指揮をしながら教室の後方から生徒たちの間を縫って前に出て行きます。

 そして黒板の左右一杯に横に1本の長い線を引き、右端に「100」という数字を書きます。私は98歳ですから、その少し手前のところに「98」と書き込みます。

 ついで、手を挙げた生徒を指名して黒板の前に来てもらい、自分の年齢と思われるところに「↓印」を入れてもらいます。

 では、その「↓印」の位置が正しいかどうかを尋ねますが、質問してもはっきり答えられ生徒がいないので、私は短い棒か、ある長さの紙片を尺度として、10、20、30……と右に数えていきます。そうすると大体は↓印の間隔が長すぎるか、あるいは足りないかがわかります。

 そこで私は、黒板の0から100までの一本の線の真ん中の位置に立ち、両手を左右に広げて立ちます。頭頂の真ん中に当たる部分の線に印を入れ、「50」と書き入れ、次に0~50の真ん中に「25」と書き、その位置から子どもの書いた0~10の間隔の↓印が正確か否かを判定できることを説明します。

 算数とは、数字を足したり引いたりすることだけではなく、このように体を使ったり、目測したりするのも算数の応用だと説明します。

いのちはどこにあるのか

 私は次に、「君たちは生きているのかな。そう思っている人は、両手を高く挙げなさい」と言います。大体、日本の小学生は、左右の友だちの動作をうかがいながら、そろそろと手を挙げたり、あるいは肩の辺りまで挙げたりします。ところが、アメリカやオーストラリアでは、どの子も勢いよく両手を挙げます。どうも日本の小学生ははっきり自己表現する習慣が身についていないようです。

 それから、「生きているということは、いのちをもっていることだね」と尋ねます。生徒はみんなうなずきます。

 しかし、「君たちは、どこにいのちをもっているのですか」と聞きます。しばらく考えた後、誰かが胸に手を当てます。「君が当てたところには何があるの」と聞くと、小さな声で「心臓」と答える子がいます。

 そこで私は、心臓は左の胸のお乳の部位にあることを教えます。

 そして、何人かの子どもに前に出てもらい、用意していった聴診器の正しい使い方を教え、2人を向き合わせてそれぞれ相手の心臓の鼓動を聞いてもらいます。

 「心臓(心音)は1分間にいくつ打つのかしら」と聞いても、即答できる子どもはいません。そこで、心臓の大きさは自分の握りこぶしくらいの大きさであること、子どもは大人よりも心拍数が多いこと、おおよそ人間の大人は1分間70回、君たちは90回、ウサギは200回、象になると25回くらいであると話します。つまり小さい動物は心臓も小さく、したがって心臓も早く打つこと、そして大きい動物は心臓も大きく、1分間の心拍の回数は少ないけれども、1回で心臓から送り出す血液量は多いことを教えるのです。


https://www.caresapo.jp/senior/health/health/83dn3a000000oejp.html 【第70回 子どもとの対話から生まれる「いのちの授業」(3)】

いのちのあることを感じる

 子どもたちは、どうも「いのち=心臓」と思っているようです。そこで私は、「心臓はいのちとどんな関係がありますか」と子どもたちに聞きます。続いて、「心臓が止まったらどうなると思いますか」と尋ねます。

 そうすると子どもたちの皆は「死んでしまう」と答えます。

 「そう、心臓が止まれば、酸素や栄養物を含んだ血液が体中に回らないし、もちろん脳にも行かないから、手や足は動かなくなり、呼吸もできなくなり、3分以内に心臓を動かさないと人間は死んでしまう。

 だから、胸に直接耳を当てても心音が聞こえなければ、心臓マッサージをするか、あるいは最近では映画館や公園などあちこちに備えつけてある電気的な道具(自動体外式徐細動器=AED)で心臓を刺激して心拍を打つようにする救急処置をすれば助かることがある、だからその器具は誰もが使えるように練習しておくことが必要なのです」と話します。

 そして「生きるためには心臓がちゃんと打っていなければいけないし、いのちを保つために心臓は、肝臓や腎臓など他の臓器と同じように大切な体の一部なのだ」「心臓はポンプであり、モーターのようなもので、心臓そのものはいのちではない」とも話します。

 

 子どもは首をかしげるわけです。

 そこで私は、「いのちは目に見えないもの。そのいのちがどこにあるかは言えないかもしれない。しかし、君たちはみんな、いのちをもっているし、いのちのあることを感じているね」と伝え、「本当に大切なものは目には見えないことが多い」という内容に移っていきます。

大切なものは目に見えない

 私は、「君たちは空気が見える? 酸素が見える? 君たちの目には見えないけれども、空気や酸素がなければ君たちは死んでしまうね。人間は水がなければ生きていけないね」と続いて、「君たちの飲む水はどこからくるの?」と聞いていきます。

 「山から、川に流れて来て、それが水道の水となる」と、子どもたちは答えますが,「山からの水は、どこからくるの?」と聞くと、子どもたちは答えられません。「空から雨が降って、それが山から川にくる」と説明し「その雨はどうして降るの?」と聞いたあと、「雨雲が雨を山や野山に降らせる」と説明します。

 「雨雲は、どうして君たちの上に雨を降らすか」と聞くと、子どもたちは、「風が雨雲をもってくるから」と答えます。そこで私は、「雲を動かすものは何か?」と聞くと、子どもたちは「風」と言います。

 「そうだよ。しかし、君たちには風が見えるの?」と聞くと、「見えない」と子どもたちは答えます。

 「外に風が吹いているかどうか、教室の中からはどうしてわかるのかしら」と聞くと、子どもたちは、「木の葉が揺れたり、雲が流れたりするからわかる」と答え「だけど風そのものは見えないでしょう」と疑問に思うのです。

 そこで私はこう言うのです。

 「大切なものには、見えないものが多い。それはいのちも同じこと。いのちは一人ひとりが感じるものではあるけれども、からだのどこにあるかは言えない。いのちは目には見えないけれども、あることは皆が確信しているね」

 サン=テグジュペリの『星の王子さま』という作品には、次のようなことが書いてあることを紹介します。

 星に住んでいた王子さまが、地球の砂漠に下り、キツネと仲良しになるのですが、王子さまがいよいよ星に帰る日が近づいたとき、キツネは別れる前にこんなことを王子さまに言います。「王子さまに言っておきたいことがある。それは、本当に大切なものは、目には見えないんだよ」と。


http://www.caresapo.jp/senior/health/health/83dn3a000000of6u.html 【第71回 子どもとの対話から生まれる「いのちの授業」(4)】より

君の時間が君のいのち

 私は次に子どもたちに尋ねます。「君たちは朝、起きてから何をしました?」「何時に朝食をとり、後に歯を磨き、家を出たの?」。それから、学校でのことを尋ねます。

 子どもたちは、「1時限目は国語、2時限目は算数があった」「それから12時には給食をとった」などと答えます。

 「それから、午後の運動場では何をしました?」と続けて聞くと「バスケをやった、ドッジボールをやった」。さらに「家に帰ってからは?」と聞くと、「おやつを食べた」。「夕方は?」と続けると「家族で食事して、それから宿題をした」「お風呂に入った」「テレビを見た」「9時に床に入った」と答えます。

 「そう、それらは誰のためにやったの?」と尋ねます。すると「僕のため、私のため」と、子どもたちは答えます。

 「そう、自分のためだね」と念を押した後、私は、「君たちは自分の使える時間をもっているね。それが君たちのいのちだ」と説明します。

 「そのいのちは、今は君たちが全部自分だけのために使ってよいけれども、大きくなったら誰かのために、困っている人のために使うのだよ。君たちのもっている時間、その君だけのためにもっている君の時間、それが君のいのちだよ。君たちは君たちのいのちの使い方を考えてほしい」と説明すると、子どもたちは自分のもっているいのちの意味によく納得するのです。

一緒に考えることが大切

 このような授業の後、子どもたちは感想文に、「日野原先生から教わって、僕たちのもっているいのちは僕たちが使える僕たちの時間だとわかった。僕たちがもっていて、自分で使える時間が僕のいのちだ。大きくなったら、僕の時間をほかの何かのために使うのだ」と書いてきます。

 この授業の最後には、「シャボン玉の歌」を指揮してみんなで歌います。そして、この歌の作詞者は野口雨情という詩人であり、女の子が生まれてすぐ亡くなってしまったのを悲しんで作った詩だということ、失われたいのちを悲しむとともに、いのちを大切にはぐくんでほしいという祈りを込めた歌であるということを説明します。

 子どもの授業は、教壇からではなくて、子どもの列の中に入って、一緒に考えることが大切であることを私は痛感しています。

 このように、いのちについて話すことは、教壇から言葉で説明してもなかなかわかってもらえないかもしれないけれど、いのちをいろいろの側面から説明していくとよくわかってもらえるのです。

 教師は、どの教科を教える場合でも、多方面から生徒が関心をもつように総合的に教えることです。そうすると、子どもたちは目を輝かせて、よく反応し、理解します。「今日の授業を家に帰ったら、お父さんやお母さんに説明してあげてね」。そう言って、私は授業を終えるのです。