今のその事実を告げることになった経緯(悟り)
今のその事実を告げることになった経緯
※当初は、その雄牛の聖霊のことを「悪魔」と勘違いし、サタンだと思っていたことである。
かつての日記がその事実を物語る。
=====================
2012年5月1日に日記より。
(タイトル)黄色いカナリアが空に消えた日に。
私が15歳のとき、悪魔に出会った。
その場所には、育ての親と従兄弟がいたことになる。
勿論、私以外は見ていないと考えていたのだが。
その真価は、定かではない。ただ、唯一心配なのは、従兄弟の存在である。
暗黒の予言を聞いたのは、私だが。
その出来事のすべては、想像を絶する出来事であることは、疑いのない事実である。
それが現実になるとしても、私はその悲しみを越えねばならぬ。
======================
この日記をさかのぼること、3カ月前の日記。
2012年2月25日
真実を語るのは実にむずかしい。青年でそれをできる者はまれである。
トルストイ
この世界に「真実」を伝えようとする者は、ご神体の加護を受けている者が多い。
そのほとんどは、「観音系」と、「龍神系」に分けられる。
このごろ、いろいろとこのサイトや他のサイトで、特別な「言葉」を綴る者は、その加護を受けている者が多いと感じられる。
問題はここからである。
「龍神系」のことで話をするが、聖書に記してある「赤い龍」は悪魔そのものである。
非常に狡猾に、その姿を見せたり、化けたりして「人間」に近づいてくることだ。
その悪魔のポイントは、赤い姿をしていること。
それと、「その巧みな言葉」に邪悪さが見え隠れすること。
龍の姿が「赤」であれば、ほとんどは悪魔の化身である。
その龍神の「精神」を見極めることが大切である。
その人間が、「清い精神」を持っていても、それを阻止しようとする裏の力を見きわめるべし。
その裏の力に「打ち勝つ」には、数々の「試練」を乗り越え、その精神を作り上げようとする「正真正銘の心」が必要となる。
=======================
※現在、伝わるその意味を知らぬ者たちは、悪魔(サタン)を雄山羊の姿だと決めつけている。
わたしの前に現れたその姿は、雄牛、牛の姿で、心臓の病になると告げられ、その後の試練に耐えうるかという問いかけだった。
=======================
そして、これの一カ月前に、その存在の意味を記す前の記述。
=======================
(タイトル)出会いとその意味。
私は、幾度か負けそうになったことがある。
その心のあり方を、試すように「それ」は姿を現した。
たった一度だけ、「その一度」が大変な意味をなすと知ったのは、いろいろと文献をたどってみて。
でも、その意味をこの頃は大切にしている。
その存在がなければ、私は「そのもの」に負けないようにしようという意思を持たないであろう。
今後の人生のためにも。
ここで知り合った、数人の「意味」を大切にして、その真実を語ることを貫きたい。
2012年1月31日。
=====================
そして、とうとうその己の抱いていたその存在の意識に間違いがあるとわかったこと。
その意味が、今、掲載している雄牛の聖霊の写真である。
これは、その存在を理解させるように仕組まれた出来事であると、今は言えるのである。
=====================
2013年7月23日にその雄牛の聖霊の雲は掲載された。
(その掲載)サタンにみえるのは気のせい?
その後にアップして伝えた言葉。
(この雲の掲載の答え)
例の雲のアップ写真。
唯一神様かもね。(実際にはこのときに、その神の名を伝えている)
※本来、その名をいうことは罪になり、命を落とす意味になるのだが、なぜかその意味はなかった。
(そのアップした方の言葉)
気持ち悪いなんていったら
罰当たるね。
その後に、わたしが答えているのだが。
(私の一言)
そうだよ。
最高神ですよ。
祝福です。
その御役目を、心おきなくやれと。
※この出来事があって、雄牛の聖霊は最高神である唯一神の意味と分かり、
やがて、何にも聖書の言葉の一つ一つを知らないわたしが、その聖書の意味を調べてその内容を見つめ、己の立場を悟ったというのが本当の経緯であった。
そして、詩篇でこの言葉を知る。
50:7「わが民よ、聞け、わたしは言う。
イスラエルよ、わたしはあなたにむかって
あかしをなす。
わたしは神、あなたの神である。
50:8わたしがあなたを責めるのは、
あなたのいけにえのゆえではない。
あなたの燔祭はいつもわたしの前にある。
50:9わたしはあなたの家から雄牛を取らない。
またあなたのおりから雄やぎを取らない。
※イスラエルに対して、証をなすと詩編では言っている。
あなたを責めるのは、あなたのいけにえの故ではない。
要するに、十字架についた意味ではない。
いつも、その贖いの意味であることは、主の前にある。
わたしは、あなたの住む家から、雄牛の聖霊と取らない。
(要するに常に一緒にいるという意味)
またあなたのために設けた神の檻から、雄やぎを取らない。
(かつては勘違いして、世にその聖霊の意味をサタンとして伝えた罪である)
エレミア書にこうある。
4:1主は言われる、「イスラエルよ、
もし、あなたが帰るならば、
わたしのもとに帰らなければならない。
もし、あなたが憎むべき者を
わたしの前から取り除いて、ためらうことなく、
4:2また真実と正義と正直とをもって、
『主は生きておられる』と誓うならば、
万国の民は彼によって祝福を受け、
彼によって誇る」。
※憎んできたサタンというイメージを取り去り、それは神の聖霊であり、その意味を伝えに来た神であり。
真実と正義と正直とをもって、
(要するに、その言葉に偽りはなく、正義と正直をもって語ること。)
そして、その神が生きていられると己で誓うことである。
箴言にしるされた言葉。
22:17あなたの耳を傾けて知恵ある者の言葉を聞き、
かつ、わたしの知識にあなたの心を用いよ。
22:18これをあなたのうちに保ち、
ことごとく、あなたのくちびるに備えておくなら、
楽しいことである。
22:19あなたが主に、寄り頼むことのできるように、
わたしはきょう、これをあなたにも教える。
22:20わたしは、勧めと知識との三十の言葉を
あなたのためにしるしたではないか。
22:21それは正しいこと、真実なことをあなたに示し、
あなたをつかわした者に
真実の答をさせるためであった。
※その神の行われた謎の意味を悟らせ、その正しいこと、真実であることをわたしに伝え、その勧めなる知識と三十の言葉をわたしに教え、
あなたをつかわした者(主自身)に
真実の答をさせるためであった。
そして、その記された苦労の道を進み、なぜに貧しき状況にあるか。
そのことを知り、苦しんでも間違いを犯さぬようにと。
30:5神の言葉はみな真実である、
神は彼に寄り頼む者の盾である。
30:6その言葉に付け加えてはならない、
彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。
30:7わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
30:8うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
30:9飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。
なぜに、イエスはトマスの福音書でこう言われたか。
29 イエスは言われた。”肉が霊のために生ぜしめられたとすれば、それは奇跡である。しかし霊が肉のために生ぜしめられたとすれば、それは奇跡のなかの奇跡である。いかにしてこの偉大な富がこの貧困のなかに住まわったのか、わたしは不思議に思う”。
※要は、作り話ではなく、正真正銘のその記された意味を生き、主の道というものを人々に悟らせることである。