【働く天使パパインタビュー】#3 拓都パパ
SNSなどではなかなかシェアされない「天使パパ」の想い。言葉にはしないけれど、パパも悩み、わが子やパートナーであるママのことを想い、そして気づきを得て歩んでいます。そんな天使パパの物語をiKizukuがインタビューしてご紹介します。
《#3 拓都パパ》
【プロフィール】
拓都パパ(奈良県在住/30代)
・お仕事:会社員/人材紹介
・雇用形態:正社員
・ご経験:不妊治療を経て、2017年3月2日・39週3日で分娩中で突然の心停止
・Instagramアカウント:masashi__kataoka
・ブログ:https://ameblo.jp/masashi0302/
<お気持ちについて>
1.ご経験されたときのお気持ちを教えて下さい。
「なぜ自分たちに」「どうして」という気持ちが強かったです。
妊娠経過は順調で、39週で破水して無痛分娩の処置をしていました。陣痛がなかなか来なくて、陣痛促進剤を打ちました。
出産に立ち会えるタイミングで呼ばれる予定だったのですが、院内が慌ただしくなり、パニックな空気に包まれていました。病院関係者から、「お腹の子の心臓が動いていない」と説明を受けました。そこから妻は亡くなった子を産んでくれました。
分娩中はとにかく妻のことが心配でした。妻の意識も朦朧としていたので。そして、希望がないことがわかっている中、拓都を出産しないといけない状況。妻は本当にキツかったと思います。
産まれた我が子の顔を見た時は可愛いと思いました。しかし、すぐに赤ちゃんが泣かない現実を突きつけられました。もうそこから放心状態。妻の心配、両親の心配、これから手続等で何をしなければいけないかで頭がフル回転でした。私自身も感情がむき出しになり、泣いたり先生に怒りをぶつけたりした記憶もあります。
2.ご経験後、精神的・身体的な影響はありましたか?
精神的に厳しい状態だったと思います。仕事はできなくなってしまったので、1ヶ月ほど休職し、妻の実家で過ごしていました。
死産がわかり、火葬するまでに何かできることはないかと妻が調べてくれた足形
3.お気持ちや悩みを誰かに話したり相談したりしましたか?それは誰ですか?しなかった場合は理由を教えて下さい。
1ヶ月間は妻の実家で、妻とずっと一緒にいましたので、常に妻と話をしていました。相談できる人はいなかったです。
友人関係は一変しました。空白の一年といった感じで、ほぼ友人とは会いませんでした。
経験後は、天使ママのブログを読んでいました。今後も同じ経験をした人が出続けるため何か役に立て欲しいと、そして自分も息子の存在を残したいと、ブログを通して発信するようになりました。そのブログで経験者とやり取りをしたり相談を受けることもありました。
4.パートナーに対してどのような声掛けや対応をされましたか?またパートナーからはどのような声掛けや対応がありましたか?
妻が一番しんどい状況の中、私のことも気にかけてくれていました。無理はしないでね。といつも言ってくれていました。
5.男性は女性に比べて感情を表出したり、相談したり、共感を求めることをしない、と言われることがあります。それを温度差だと感じて悩む天使ママも多いです。ご自身はどうでしたか?
私の場合は感情を表に出しました。泣くこともいっぱいしたし、何よりもずっと妻と一緒にいたので、温度差は感じていない方だと思います。妻からも一緒に悲しんでくれたことが良かったと言われています。
6.第三者に相談できる場所や当事者会(天使パパ・夫婦の会、死別経験者の会)等があれば相談・参加したいと思いますか?それは何故ですか?
相談、参加したいと思います。自分は当事者のコミュニテイの場に参加し、そのスタッフの方にも救われました。また、天使パパ同士で話す機会が少ないので、そのような場に参加したいと思います。理由としては拓都の死産の経験は何かしら社会に貢献したいと思っているからです。
拓都ベア
<働き方について・職場とのやり取り・周囲との関わりについて>
7.ご経験後、仕事をお休みされましたか。それはどのような制度でしたか?
1ヶ月間休みを取りました。1ヶ月で復帰することができ、復帰してから会社と相談しましたが、有給消化で1ヶ月を埋めることができたので、有給消化という形で処理しました。
仕事はできる状態ではありませんでした。妻からも仕事は無理しなくてもいいよと言われていました。
職場環境には恵まれていました。直属の上司には退職したい意向を伝えましたが、いつでもどれだけかかっても大丈夫だから、ゆっくり休みなさい。休む期間も決めなくていい、仕事にことは気にしなくていいと、すべてフォローしてくれました。最初は辞めてもいいかと思っていましたが、休む中で、少しずつ仕事にも前向きになり上司と相談して一ヶ月で復帰しました。現実的には働いていかないと生活は難しいですし、好きな仕事だったので。当時は辞めずに職場に戻れたことが幸せだと感じました。
天使パパにも休みは必要だと思います。休んで良かったことは、毎日妻と一緒にいられたこと。弱いところを互いに見せられたことです。
8.ご経験後、働き方やモチベーションは変わりましたか?また働き方やキャリアに対して考え方が変わったことはありますか?その他、仕事に対して感じることを教えてください。
大きな変化がありました。とにかく無理しないように残業は一切しなくなり、キャリアに対する向上心もこの時はなくなりました。尚、その後独立して起業していますが、これは以前からやりたいと思っていたことです。
9.ご経験について職場へはどのように伝えましたか?連絡や相談の仕方や連絡・相談後のやり取りについて、大変だったこと・ご自身で工夫したこと・改善してほしいことがあれば教えて下さい。
非常に人間関係が良い会社でしたので、起こったことをありのまま全員に伝えました。15人と小規模の会社でしたので、全員集まった特に私が泣きながら説明しました。改善してほしい点などはありがたいことに何もありません。
10.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。
信頼できる先輩と上司に助けてもらいました。いつも連絡をくれ、気にかけてくれていました。
11.パートナー以外のご家族・ご親族・ご友人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。
妻の実家に1ヶ月お世話になり、寝る以外のことはすべて支えてもらっていました。とにかく支えていただいたすべての行動に感謝しかありません。
辛かったことは、息子が生まれるタイミングで新居を建てていたことです。死産後、3人で住む予定で建てた家の打ち合わせに行くのは辛かったです。
同じ経験をしたことがない人からは、何を言われても傷つきました。近所の人にも「子供どうなった?」と聞かれることもありました。新居に移ったことで、周りが妻の妊娠を知らない人ばかりになり、これは逆に良かったです。
一方で、娘に息子のことをどう伝えるか。気持ちとしてはちゃんと伝えたいけど、娘が無邪気に話して学校でいじめられたりしたら?などと悩みます。どういうテンションで話したらいいかも悩ましいです。
12. 入退院や役所手続きなどを男性が行うことが多いと思います。様々な手続きの際に大変だったことや困ったこと、改善して欲しいことなどがあれば教えてください。
死産後すぐに行わないといけない手続きに関しては、私の両親に行ってもらいました。とても役所に行ける精神状態ではありませんでした。両親も辛かったと思います。このような場合は病院側で手続きをしてもらえると本当に助かると思います。
拓都ベアと骨壷を持って旅行に行きました
<”今”の想い・メッセージ等>
13.今、振り返ってみて、こうしたのが良かった、こうすればよかった、当時のご自身に伝えたいことなどはありますか?
拓都の写真をいっぱい撮ったことが良かったです。本当に辛かったですが、少しでも残しておきたいと思い、家族写真も撮りました。
14.パートナーに伝えたいことはありますか?
妻には感謝しかありません。10ヶ月もの間、大変な状況でお腹の中で拓都を育ててくれたこと。辛い状況の中、出産してくれたこと。無事に今生きてくれていること。本当に感謝しています。
15.同じ天使パパさん達に伝えたいメッセージがあればお願いします。
天使パパも心の中で辛さや寂しさがずっと残ると思います。それでも仕事をしないといけない。自分がしっかりしないといけないと感じると思います。
共感を求めない人は多いと想いますが、同じ経験をした人はいます。少しでもその経験で繋がりを持ち、天使パパとしてできることを一緒にしていければ嬉しいです。
同じような経験者だからこそ理解できることがあると思いますし、でも一人一人経験が異なるので視野も広がると感じます。このような天使パパが語り合う場があればどんどん話したいと思います。
16.iKizukuでは、ペリネイタルロスやグリーフ等に関する社会の認知不足から、必要な支援がされていない現状を改善したいと取り組んでいます。ペリネイタルロスを取り巻く環境について感じること(課題や改善案等)があれば教えて下さい。
病院がこのような死産の対応に慣れていなかったので病院の対応をしっかりしてほしいと思いました。死産後の入院中、毎日子どもが産まれて泣き声のするところで過ごさないといけない、赤ちゃんの前を通らないといけないことや、看護師同士で情報共有されていないということもありました。
拓都の1歳の誕生日(1年後)に妻と行った旅行