2022年7月21日
人に受けた恩、それは「借り」としてインプットされます。
自分の中に貸し借り帳があり、その中にインプットされるのです。
人に借りを作ってばかりの人は、どこかでその借りを清算されます。
プラスマイナスゼロになるように、何かで清算されるのです。
それはお金かもしれませんし、健康かもしれません。
どんな形で支払うのかは人それぞれです。
人に借りを作らない、それは人に助けてもらう事を拒否するのではなく、助けてもらった自分があるのなら、それを忘れずにいる事です。
そして自分と同じように助けを求める人に出会えば、自分ができる事をしてやれる自分があればいいのです。
人の事を簡単に使う、それに対して「ありがとう」という礼儀にも欠け(口先だけではなく心からのありがとうが言えるか)、「ラッキーだった」程度に捉えていると、思わぬ形で清算されるのです。
以前、ヤミ金業者が「お金がないなら腎臓を売れ!」なんて言葉で脅して問題になっていました。
脅されるのは怖いですが、もっと怖いのは、本当に身体で清算させられる事があるという事です。
相手がいて言葉で脅されるのも確かに怖いでしょう。
しかし、気づかないうちに溜まった「借り」が健康を害するという形で清算される方が本当は怖いのです。嫌だとも言えず、ましてや本人にも清算されているという事が判らないのですから。
「ある日突然病気になった、あぁ不幸な私、なぜなんだ?」と真の原因が判らず、不安に包まれるのです。
人に助けてもらったり、手を貸してもらって、まさか自分の健康が奪われるなんて思わないかもしれません。
しかし、これは真実です。
そういう意識で周りをみれば、きっと気づく事があるでしょう。
気づくとは、そういうアンテナを張っていないとキャッチできないのです。
物事を一方から見るだけではなく、違う方向から見ていく習慣を身につけていく事です。
子供の頃の「なんで?」と大人に尋ねていた時のような好奇心、それは大人になっても忘れない事ですね。