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【勇退選手インタビュー】FL佐藤穣司 「逃げの辞めじゃない」

2022.07.15 00:44

FL佐藤穣司

「逃げの辞めじゃない」

5月までトヨタスポーツセンターで楕円球を追っていたフランカー佐藤穣司は、6月から母校・早稲田大学のFWコーチとして、練習を見守る側となった。


日川高から早大。しぶとく防御に貢献する選手として、目利きの評価は高かった。トヨタでは6年間の現役生活。選手としてこれから成熟していく、というタイミングでの転身だった。


今年のリーグワン開幕前、後藤彰友GMに呼ばれた。

「年が明けるか明けないかのタイミングでした。そのころ脳しんとうで練習を休んでいたので、“もうやめてくれ”と言われるのかなと」


そこで意外な打診をされた。

「“コーチとして勉強をする気はないか”と」


以前から指導者には関心があり、大学で教職課程も取っていたが「30歳までは現役を続けたいと漠然と思っていました」


思わぬ申し出に、そのときは肯定的な返事はできなかった。だがプレーを続けるにあたって、不安も抱えていた。この2シーズン、脳しんとうに悩まされていたのだ。


一昨年、大学時代から闘病生活を続けていた父親が他界した。ラグビーを始めた頃から、活躍を楽しみにしていた父。息子は、レギュラーをつかみたい思いが強かった。

「これまで開幕戦に縁がなかったんです。メンバーに入っていても出られなかったり。僕自身、開幕へのこだわりが強かった」


2021年度のトップリーグ。2月20日、瑞穂ラグビー場で行われた東芝ブレイブルーパスとの開幕戦で先発を勝ち取った。

「俺も頑張るから親父も頑張れよ、と」

そこで少し無茶をしたな、と今振り返って思う。翌週のNTTコム戦も先発したが、その試合で脳しんとうの診断。その後も、ふらつきが出たためスタッフと相談。シーズンはプレーすることをあきらめた。


再起を期したリーグワン初年度も開幕前の練習で選手の腕が顎に当たるアクシデント。練習を休まざるをえなかった。コーチの話が来たのは、そんなタイミングだった。どちらとも決め切れず、高校時代の恩師に電話をかけ相談した。

「まだ選手として行けるとは思う。でも膝や足首のケガだったら、“やったほうがいい”とアドバイスするけど、脳に関しては、それは言えない。指導者もやってみると楽しいし、お前に合ってると思うぞ」


高校時代、監督として指導を受けたのは元日本代表FL、キャップ31を持つ梶原宏之さん。激しいプレーでワールドカップでも活躍した。佐藤の持ち味であるタックルはジャパンの先輩直伝だ。

率直なアドバイスが、気持ちをほぐしてくれた。次第に気持ちが固まっていく中、3月5日の第8節シャイニングアークス東京ベイ浦安戦で先発のチャンスが回ってきた。それまでポジションを争ってきたのは、日本代表にも選ばれた古川聖人。

「スタートから僕が出られなかったのは、聖人のパフォーマンスがよかったこともありました」

 先発した試合は31-22で勝利。だが思うようなパフォーマンスはできなかった。

「すでに引退を決めていて、いろんな思いがありすぎた」


ラグビー人生史上初めて、というタックルミスもした。

「いつもだったら修正できるのに、“結果を残さなきゃ”と焦りが強すぎた」


もうチャンスはないと覚悟した。だが、日頃の佐藤のプレーを見てくれていた人がいた。スティーブ・ハンセンDORだ。

「ミーティングで“彼は普段、そんなにタックルを外される選手なのか?”と言ってくださって、もう一度チャンスをもらえました」


翌週、埼玉ワイルドナイツ戦でも先発で出場したが、再び脳震盪。安静の期間が必要となった。次の試合からは、古川が先発に戻った。


次に回ってきたチャンスはリーグ最終戦、東京サントリーサンゴリアス。先発に名を連ねていたが、コロナウイルスにより試合は中止となった。

「キャプテンズランの前にミーティングがあって、中止を知らされました。“俺どうなるんだ、あ、引退か”と。こんな終わり方もあるんだと」


シーズン中、母校である早大にFWコーチとして戻る話が進んでいた。引退の感傷に浸る間もなく、引っ越しの準備に。6月初旬には、東京に住まいを移した。

「本当はもう少しプレーしたかった。選手として成長も感じてましたけど、現状のコンディションをいろいろ考えた結果です。でも逃げの辞めじゃない。トヨタで6年間、いろいろな経験をさせてもらいました。リーグワンを経験できたのも、セカンドキャリアには大きかったかなと。自分の自信にもなったし、経験値として大きかった」


引退と同時に職場も配置変更、スポーツ強化・地域貢献部からの出向となった。

「コーチングにもともと興味があったのを会社がサポートしてくれて、すごくありがたいです」


大学時代、汗を流した上井草のグラウンドに戻り、チームウエアを着ると、感慨がこみあげてきた。

「稲穂のロゴが変わってなくて、懐かしさとともに嬉しかった。再び戻ってこられて感謝です。同時に、袖を通した瞬間に責任を感じました」

目標ははっきりしている。今年の4年生に「荒ぶる」を歌わせてあげること。日本一になった最上級生でなければ歌うことは許されない。佐藤も現役時代、歌うことはできなかった。だからこそいまの学生たちに、歓喜の歌を贈りたい。


幸い、身体は現役モード。学生たちと一緒に走って教えられそうだ。関東大学対抗戦グループはすでに日程も発表され、菅平での夏合宿もまもなく始まる。早大の大田尾竜彦監督とは、佐藤がトヨタに入社2年目、監督がヤマハ発動機ジュビロの10番として対戦している。

「ヤマハは強いFWありきのチーム。そのFWを前に出していたのが、大田尾さんでした。どういうコントロールをしていたのか、ラグビーを深く学べる楽しさもあります」


現役時代、忠実な猟犬のようにボールを追った7番は、母校のグラウンドで、これまで以上にどっぷりとラグビーに浸る日々を過ごしている。


 

 

さとう・じょうじ/1993年8月3日生まれ・28歳/184㌢103㌔/日川→早大/在籍6シーズン


文/森本優子