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Crossroads 〜20歳の時、なにしてた?〜

vol.15 殿塚裕紀さん(39)【ちょっと、空飛んでくるね Soratopia 〜ソラトピア つくば〜パラグライダースクール代表】

2018.01.26 15:05

栃木生まれ。パラグライダー専門のインストラクターとして1000人以上もの方々に空を飛ぶ感動を与え続ける。

10年間のインストラクター経験を生かし、2009年度にアウトドア関連の事業を手掛ける会社FieldJoyを立ち上げる。

2012年度よりFieldJoy事業の一環として、筑波にあるSoratopia 〜ソラトピア つくば〜パラグライダースクール の代表を務め、現在100人の生徒にパラグライダーの指導を行っている。


*殿塚さんのこれまで


◇興味の赴くままにチャレンジした幼少期



—殿塚さんは小さい頃からパラグライダーをされていたんですか?


初めてパラグライダーを経験したのは小学6年生の夏休み

両親が小さい頃からたくさんのことに挑戦させてくれて。

テニス、ゴルフ、サッカーなど。好奇心を極限まで広げる事ができる環境だったことはすごく感謝しています。

パラグライダーにもその時の流れで、両親の勧めでたまたま挑戦してみたものの一つです。

でも、その時はもっぱらサッカーが好きで、小学生から高校生までサッカーを続けていましたね。高校の時は主将を務めるくらい真剣にやってました。


—サッカーをやられていたのですね!大学生になっても続けていたのですか?


大学に入ると、フットサルにシフトはしましたが続けていました。

イベントサークルにも入り“典型的な”大学生活を送っていました(笑)

そんな生活を送っていたので、就活を控えた大学四年生の時期になってもやりたいことがなかなか見つからなくて。

幸いなことに三年生までにほとんどの単位を取り終わっていたので、

何か自分探しをしようと思い、趣味を探し始めたんです。

漠然と、自分は会社勤めをするような人間ではなく、何か枠から外れていたいという想いがあり、とりあえず時始めてみたビリヤードやダンス。

それぞれに魅力はありましたが、このフィールドにはその道のプロがいます。みんなそれこそ幼少期から続けている。

そこに自分が大学卒業間近から入ることは難しいなって思ったんですね。


—そこで選んだのがパラグライダーですか?


そうです。小学生の時に体験したパラグライダーを思い出して、久しぶりに飛びに行ったんです。

この時はパラグライダーを職業にするなんて頭の隅にすら浮かんでいませんでしたよ(笑)

でも一度飛んだら、空を飛ぶということの特別感や高揚感にみるみるうちにトリコになっていったんです。


—なるほど。パラグライダーをしながら生きていこう!と思った決め手はなんだったんですか?


パラグライダースクールでアルバイトをしていたんです。

今で言うリゾートバイトのようなもので。

並行して就職活動を続けてはいたのですが、

やりたい仕事は特になく、自分が大好きでそれを仕事にできるのならいいなと思っていた時にアルバイト先の会長さんに声をかけていただいて、就職を決めました。

直感で、本当に楽しい!って思えて、ワクワクするのはやはりパラグライダーだったんですよね。


—その後も栃木でパラグライダーのインストラクターとして働き続けていらっしゃったのですか?


二年間は地元栃木県で働いていました。このタイミングで、師匠のように尊敬する方との出会いもあり、その方の紹介で茨城、白馬、岡山と日本各地を転々としながらインストラクターを続けていました。


白馬は冬場はスキー場として有名ですが、夏場はパラグライダーをするのに最適なんですよ。


—なるほど。殿塚さんはのちにご自身のスクールを作られたのですよね?


そうです。

これもある人から持ちかけられて、なんか楽しそう!そんな自分の気持ちを信じてやってみたんです。


—あるひと、というのは?


それが、白馬の時に担当していたお客さんなんです。

仕事をしながら趣味(と言っても相当本格的)でパラグライダーをしていた方で。

その時私はまだ岡山にいたのですが、新しくアウトドアの会社を作らないかと誘われたんです。

そして、いつものように面白そうと言う気持ちを大事にして2009年にまったく何もないところからその方とともにFieldJoyを起業しました。

1年後、面白いことに師匠の方も加わって3人での事業展開となりました。(笑)


—今までお世話になってきた人たちと繋がっていったのですね


そうなんです。実は30歳になったら経済的にも不安定なパラグライダーのインストラクターという職業に区切りをつけて、生きていこうと思っていました。

しかし、多くの人に恵まれてその中で自分が必要とされていることを感じ、ここで一旗揚げようと決心したんです。

やはり、パラグライダーが面白いと言う気持ちは捨てきれなかったんですね(笑)


—立ち上げをされてみてどうでしたか?


本当に大変でした。全てが初めてだったんです。

また、立ち上げた当初に風評被害を受けたこともあって。

危険飛行でヘリコプターに接触しかけたという、根拠のない事実を広められて…

名誉毀損で裁判を起こして勝訴しましたが、証拠を集めるのが大変でした。

どの世界にもこういう人達はいるものですね。


—冷やっとしたことはありますか?


ありますね。やはり自然相手にしていることもあり、木に引っかかったり、地面に叩きつけられるなど、ヒヤヒヤした局面は何度も見て来ました。

ケガで神経を傷つけてしまい、下半身麻痺になった知り合いもいます。気をつけないといけないなと日々思っています。


 —パラグライダーの醍醐味とはズバリなんですか?


やはり「飛ぶ」ということに尽きますね。

本読んでも歌を聴いても出てくる「飛ぶ」ということ。これは人類の夢であり、だからこそ「飛ぶ」ということがパラグライダーの唯一無二の魅力ですね。


—今まで見てきた景色で1番美しかった場所を教えてください


 1番はスイスでアルプス周辺を飛んだ時ですね。

やはり日本とは山並みの景色も全然違うので魅力的でした。


*殿塚さんのこれから



—殿塚さんのこれからの夢を教えてください!


はい。近い夢では、ベトナムのパラグライダーのインストラクターを育成することです。

ベトナムには今現在、協会もライセンスを取れる仕組みもないんです。

去年は向こうから呼んでいただいて、ベトナムで講師を務めました。

いま担当している生徒は50人以上います。


政府から認定を受けたインストラクター養成講座も行いました。


実際にベトナムに行ってみてびっくりしたのは YouTubeなどを見て、見よう見まねに飛んでいる人があまりにも多かったことです。

これは本当に危険で、しっかりしたレクチャーを受けないと死に至る事故が起こりかねません

そこで自分が、適切に生徒にレクチャーできるインストラクターを育成したいと思っています。

自分が教えたことが「殿塚式」として広まり、ベトナムそして周辺のパラグライダーの文化がない地域に赴き、その国の新しい文化を作っていくことが今の夢です。

そして最終的には日本一のインストラクターになりたいと思っています。それをどのような形で叶えていくかはまだ決めかねていますが、

インストラクターとして生徒さんが空を飛ぶ楽しさを覚え、世界が広がる様子を近くで寄り添い見ていたいなと思います。


*殿塚さんの好きなもの



—好きな映画 


『タイタンズを忘れない』


—好きな言葉


ミスチルの歌で『天頂バス』と言う歌があるのですが、

その歌詞の

「望んでいれば いつまででも成長期」

という一節が好きですね。


—好きな曲


ミスチルの『I’ll be』。

これは曲の中に雲の描写が出てきてすごく好きな歌です。やってやろうぜ!と頑張る気持ちを後押ししてくれます。


—20歳の方に向けてメッセージをお願いします。


20歳の時には、とにかくいろんな世界を見て欲しいなと思います。

スマホが世の中に出回ったことで、今は暇な時間の奪い合いになっているんですよね。

実際、僕たちパラグライダーのスクールを開いている身から見ても、ライバルはスマホなんです。

スマホの中に世界があって、実際にその土地に行かなくても体験した感覚になれる。

でもそれはすごくもったいないことで、自分の足で人に会い行き、知らない世界を見ることで価値観が広がる。これは時間がある20歳の時にぜひやってほしいなぁと思います。

皆さんドローンの映像で満足せずに、一緒に空でも飛んでみませんか?