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フトマニ古事記

2022.07.15 06:37

Facebookいと 京さん投稿記事  ホツマツタヱを世界に広めよう

はじめに

漢字が伝わる以前に、日本には固有の文字がありました。その文字をヲシテ文字と言います。この文字は、縄文人の宇宙観・自然観から生まれたものと理解することができます。

この文字で書かれた冊子が、神田の古書店において、昭和41年(1966年)、現代用語の基礎知識初代編集長・松本善之助氏によって発見されました。

 *松本氏は、「知の巨人」「マネジメントの父」と呼ばれたピ  ータードラッカーを日本に最初に伝えた方です。

このヲシテ文字で書かれた文献をヲシテ文献と言います。

ヲシテ文献には、「ホツマツタヱ」、「ミカサフミ」、「フトマニ」があります。

私、いときょうは、ヲシテ文献を解読した結果、古事記、日本書紀の原書であることを確信しました。

これにより、何故、縄文時代に平和な時代が1万年もの長きにわたって続いたのか?その訳が分かりました。

また縄文時代後期(紀元前1千年頃)においては、江戸時代につながる素晴らしい文明が確立していたことが分かりました。

私はここに、ヲシテ文献の一つ「ホツマツタヱ」を世界に広めることは、日本人としての尊厳を取り戻し、同時に、私たち日本人が主体となって、世界を平和に導くことにつながると確信しています。


https://sasaki-aiki.com/article/?v=771&c=1 【【第771回】 フトマニ古事記 その1】

これまでも書いてきたが、合気は「古事記の営みの実行で神習っていかなければなりません」「古典の古事記の実行」「天の浮橋に立たされて、布斗麻邇の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技に現わさなければならないのです」であると、大先生は教えておられる。古事記の営みの実行で技をつかわなければならないということになる。

「古事記の宇宙の経綸の御教えに、神習いまして日々、練磨していくこと」なので、古事記には宇宙の経綸の教えが書かれているので、その教えに習っていくのである。

古事記は古事記神代巻である。

しかし、古事記神代巻だけでは“古事記の営み”や“宇宙の経綸の御教え”を理解し、身に付けるのは難しいと思う。この古事記の営みが分かるためにはフトマニでやらなければならないのである。これを大先生はフトマニ古事記と言われていると考える。大先生は、「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません」と教えておられるのである。

それを具体的に、また、分かり易く、次の様に教えておられる。

「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・。 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりっと回るからできるのです」

しかしながら、これでもまだ難しく、まだまだ不明な点がある。

一つは、古事記と布斗麻邇(ふとまに)との関係。別物であるのに何故一緒になるのか?

二つ目は、何故、合気道の植芝盛平開祖がフトマニ古事記を合気に取り入れたのか。その経緯は?

三つ目は、フトマニ(布斗麻邇御霊)の中身の解釈

等である。

これらの事項が明らかになれば、合気の真の技、武産合気の技を生み出すことが出来るようになると考えている。時間とスペースを取りそうだが、一つずつ研究していくことにする。

一つ目は、「古事記と布斗麻邇(ふとまに)との関係。別物であるのに何故一緒になるのか?」である。

そこで古事記と布斗麻邇の出会いについて簡単に記す。

「言霊学」研究者・国学者山口志道(1765年~1842)は国学者荷田春満(かだのあずままろ)の流れを汲む荷田訓之(かだののりゆき)に学び、伝授された「稲荷古伝」が手がかりとなり、山口家に伝わる神宝「布斗麻邇御霊」を古事記神代巻に照らしてみると、これが天地の水火(いき)の教えであることを悟ったのである。

これが古事記と布斗麻邇の出会いである。

志道は、これに基づいて、自身の「言霊学」を構築し、丹波亀山で、「水穂伝」(1834)を著したのである。

二つ目の「何故、合気道の植芝盛平開祖がフトマニ古事記を合気に取り入れたのか。その経緯は?」である。

植芝盛平翁は、一時、大本教におられ、出口王仁三郎から言霊の教えを受けた。その教えの基が『大本言霊学』であると思う。この書に出口王仁三郎は、霊学真理を先師本田九郎親徳(1822 ? 1889)に授けてもらったとある。本田は神道霊学中興の祖と言われ、鎮魂帰神を中核とする本田霊学を日本に確立した。出口王仁三郎は本田から「稲荷古伝」「水穂伝」「布斗麻邇御霊」を教わり、大本教の言霊の教えとしたと考える。

『大本言霊学』を読んでみると、山口志道の「水穂伝」とほぼ同じであるのである。つまり、大本教で教えていた言霊学は山口志道の「水穂伝」ということになる。

そして合気道植芝盛平開祖がこれを学び、フトマニ古事記として合気道に取り入れていったということになるわけである。従って、我々合気道家は『大 本言霊学』でも「水穂伝」のどちらを勉強してもいいことになるだろう。

三つ目の、フトマニ(布斗麻邇御霊)の解釈であるが、次回から、『大本言霊学』の布斗麻通御霊を研究してみたいと思う。

参考文献

『大本言霊学』出口王仁三郎著 八幡書店

『言霊秘書』大宮司朗監修 八幡書店


https://sasaki-aiki.com/article/?v=772&c=1  【【第772回】 フトマニ古事記 その2】

前回述べたように、今回からは『大本言霊学』から、布斗麻邇御霊(フトマニノミタマ)を研究してみることにする。この布斗麻邇御霊は山口志道の布斗麻邇御霊とほぼ同じである。

布斗麻邇御霊は7つの図像からなり、これで宇宙の創造、天地の生成、人の形成を顕すと言われる。更に、万有万物の産みだしと完成はこの布斗麻邇御霊に則ることになるから、合気道の技もこの布斗麻邇御霊に合してつかわなければならない事になるのである。大先生は、いつも合気道は宇宙の営みにしたがわなければならないし、宇宙の法則に則らなければならないと言われていたが、この布斗麻邇御霊こそがそれであると考える。それ故、この7つの図像は重要であり、大事な意味があるはずであるはずなので、一つ一つ研究していきたいと思う。が、難解なのではじめはさらっと表面的なものになるだろう。

今回は最初のである。「天之御中主神御霊である。“此の形は布斗麻邇御霊より割別たる水火の形なり、是をもて天地の気を知ることを得”である。

『大本言霊学』には、「古事記曰く天地初発之時於高天原成神御名天之御中主神云々」にある神である。この御霊の真中にあるヽ(シルシ)は天地未生のヽ(キ)なり。・・・其の言義(ココロ)は天地の初虚空の正中にヽ(シルシ)の気(イキ)と云御名にて則ち○(アメ)の正中のヽ(シルシ)をなして其御形是の如し則ち天之御中主の御霊なり」「萬物この御霊より発するなり」と、天之御中主神御霊を説明している。

これを合気道ではどのように教えておられるかというと、

「天もなく、その一番初めが「三千世界一度に開く梅の花」ということで世の発し兆しをいうのである。それでいちいち昔から世を組織するためには、大虚空をつくる。ちょうど、朝の曙みたいなものである。造り主の御姿が現れる折りに、本当に曙のように大太陽がそこに現れる。」(合気神髄 p.134)

となる。

これを合気道の技をつかうに際して、どのように考え、つかえばいいかということになるだろう。合気道では物事を技に現わすことが出来てこそ、それが分かったということになるからである。

私の解釈と技づかいは次の通りである。

天地の初までは、天もなく、大虚空であったから、稽古で技をつかう等など稽古の事や技のこと等何も考えていない虚空状態ということになる。

そして合気の稽古をする、技をつかうという心の○が生じ、その真ん中に「よし、やってやるぞ!」とヽ(ポチ)が現われる。これが天之御中主神である。

具体的には、腹を締めるのである。これがヽ(ポチ)であり、それも感じられる。

「萬物この御霊より発するなり」とあるから、この天之御中主神の御霊が働いてくれるようにしなければならないことになる。

実際には、締めた腹のヽ(ポチ)の気が腹から拡がり天地と結ぶ。

この気の広がりこそが、“朝の曙みたいなもの”であり、を感得する。ヽ(ポチ)は○の中心にあるポチであると同時に、天地を結び貫く芯でもあると感じる。この芯のしっかりした天之御中主神になると、次の横への返しが上手くいく。正面打ち一教、片手取り・諸手取呼吸法などでこれが分かり易い。

大先生が杖や剣や扇子で神楽舞をされたが、その最初は天を突く動作であるが、それはで天之御中主神になって天地を結ぶ動作であると考える。(写真)

これらの事を大先生は、次の様にも教えておられる。「自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で描いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。---何時でも円を描きだし、ものを生みだしていかなければならないのです。」(合気神髄p154)

大先生は、「合気道は、自分が天之浮橋に立つ折は、天之御中主神になることである。」(武産合気P.101)と言われておられるのである。

 確かに、技をつかう際に天之御中主神にならないと上手くいかないものである。後で分かってくるが、天之御中主神にならないと、次の高皇産霊神、神皇産霊神、そして伊佐那岐・伊佐那美神が働けないのである。つまり、体が布斗麻邇御霊で動けないし、技にならないのである。何事も初めが肝心なのである。