Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

帝国の時代14-ナポレオン3世暗殺未遂

2022.07.15 10:34

イタリア統一をめざすサルディーニャ国王ヴィットリオ・エマニュエーレ2世、そしてカブール首相は、ナポレオン3世の支持を取り付けるべく1855年のパリ講和会議の前に揃って英仏訪問を行ったが、成果は芳しくなかった。そこでカブールが考えたのが仏皇帝の大好きな女性である。

そこで白羽の矢が立ったのは、国王の愛人だったカスティリオーネ伯爵夫人である。56年から夫人はフランス宮廷に美しい姿態を見せたが、その頃皇后は妊娠中で、遂に3月17日に待望の男子が誕生した。義務は果たしたとばかり皇帝は堂々と浮気に走った。

カスティリオーネ伯爵夫人は羨望と嫉妬の的になった。しかしイタリア独立を支持する言葉は聞けなかった。とうとう57年4月、夫人のところから皇帝が出て来るところを、イタリアの急進活動家が襲った。この事件は、夫人が皇帝のスケジュールを明かしたに違いない、とライバルが吹聴して、夫人は遠ざけられる。

ところが、である。58年1月18日、イタリアのオルシーニ伯爵らが、手製爆弾で皇帝夫妻の爆殺を狙ったオルシーニ事件が発生する。オルシーニは獄中で弁護士に手紙を書き、イタリア独立の思いを法廷で訴えた。ナポレオン1世の頃イタリア人は皇帝のために戦った、と。これはフランス人の心を掴み、イタリア独立を支援する、まさに瓢箪から駒とはこのことだ。