サン=サーンスと日本の詩情、万葉集。
ジャポニスムが一世を風靡していた19世紀後半フランス芸術界で、
一足早く日本の芸術に興味を持ち、日本にまつわる作品や執筆をいくつも残していた作曲家サン=サーンス。
彼の感性と日本文化の共通点をテーマにしながら、
サン=サーンスと万葉集という、一見なんの関わりもなさそうなこの二つが
出会っていたことをチラッと前回の記事で書きました。今回は、サン=サーンスと万葉集のつながりを掘り下げながら、日本の詩情と彼の音楽性の関連性について書いていこうと思います。
|パリのジャポニスム旋風 ルイ・ガレとオペラ|
サン=サーンスと万葉集、どこでこの二つが繋がっているのかご存知ですか?
オペラに詳しい方や前回の記事の内容を覚えてくれている方は、もしかしたらピンとくるかもしれません…
そう、彼の書いた最初のオペラ、「黄色い王女」という浮世絵を題材にした作品です。
なんと、このオペラの歌詞に、万葉集の中のとある長歌の一節が引用されているのです。
そもそも、サン=サーンスが、どのように万葉集の存在を知り、オペラに取り入れたのか、
日本人として経緯が気になりませんか。。?
パリの万博に日本の使節団が初めて参加したのは、1867年。明治政府になる少し前、まだ江戸幕府の時代で、
幕府、薩摩藩そして加賀藩の使節団がそれぞれ出展しました。
ここで、当初日本側は政治や外交を目的とした日仏関係を築く趣旨での参加でしたが、
日本の芸術品や文化の魅力が注目を浴び、万博以降、日本に関する書物がフランスでは増えていきました。
日本文化が注目を浴びフランス人の中で流行りになり始めたのが1867年の万博以降。
サン=サーンスの残した随筆にも、1867年の万博以降、
パリの芸術界では日本の話で持ちきりだったと書かれています。
そこから、古典文学が、伝わり、それを訳した本が出回って、
サン=サーンスが黄色い王女を発表する1872年まで、5年しか経っていません。
万葉集を歌詞に入れるなんて、まさに流行の最先端を作品にしたことになりますね。
ここでキーパーソンとなるのが、このジャポニズム真っ盛りのパリでサン=サーンスが出会った劇作家のルイ・ガレ。
タイスの瞑想曲で有名なマスネのオペラ、「タイス」の脚本を手がけた人です。
芸術的嗜好が合い、家も近所で頻繁に会って話に花を咲かせていたという彼らは、
「エティエンヌ・マルセル」「アスカニオ」「デジャニール」など数々のオペラ作品を共に残しています。
ガレは、とりわけ日本文化に熱狂していた芸術家のうちの一人で、サン=サーンスが日本への興味を広げるきっかけとなるような影響を与えた重要人物です。
サン=サーンスとガレ間に交わされた手紙が数多く残されていて、その中には、日本をテーマにした詩を送り合っているものもあります。
そして、この二人の初めてのコラボレーション作品となったのが、オペラ「黄色い王女」。
完全に東洋色だけに染まってしまうことを恐れて、舞台はオランダという設定ですが、
日本文化に熱狂するオランダの学生が、浮世絵に描かれている日本の王女に恋をしてしまう物語です。
音楽にも日本要素が散りばめられており、
東洋風の音階(時折日本を題材にしているにも関わらず中国の音階が聞こえることもありますが)を使った音楽で、浮世絵の情景を連想させるような描写がされていて、その響きや旋律を聴くと当時交流が始まったばかりのフランスと日本で、
すでにこのような作品が創作されていたのか、、。となんだか感動します。
そして、このオペラの中の日本色で面白い点が、
前述したように歌詞の日本語の言葉が引用されていること。
万葉集が引用されていることについては後にたっぷり触れますが、その前に万葉集以外の日本語についても少し紹介します。
こちら、オペラ中盤。動画の2分12秒ごろから、
あなたはどうなさいました〜こんにちは〜良い天気でございます〜
と日本語のこのような挨拶が出てきます。
物語の主人公は、アヘンで幻覚が見えて夢の世界に行ってしまう設定なので、
浮世絵から聞こえる幻聴のような場面です。
そこにつけられた音楽も、なんだか可愛いので、聴いてみてください。
(※エラー表示になっている場合、リンク先のYouTube に移動すれば聴けます。)
そして、もう一つの日本語歌詞、こちらが例の万葉集の一節です。
いきなり、一風変わった、旋律とまで呼べないような音型と弦楽器のピッツィカートのみの伴奏に乗せられ、
まさに和?を再現したような雰囲気と共にUtsusemisi~ と出てくるこの謎の歌詞。
なぜ、何千もの和歌が収められた万葉集の中から、この一節が選ばれたのか?
この和歌の意味が、必ずしもオペラの物語にあっているわけではないのです。
|日本古典文学を広めたフランスの本|
まず、サン=サーンスがこの和歌に出会うことになったきっかけではないかと思うのが、
1871年にフランスで初めて日本の詩についての解説本、「Anthologie Japonaise」が、
日本語研究の第一人者であった Léon de Rosnyによって出版されたことです。
この本には、万葉集をはじめとし、百人一首や古今和歌集など様々な日本の古典文学の特徴が紹介され、
その作品の意味が解説されています。
古典言語で書かれてる上に、直接表現ではなく比喩表現や言葉遊びが多用される和歌は、
日本人でも、単語の説明がなければ意味がよく理解できないのに、日本との交流が始まったばかりのこの時代に
これを解説し出版する、という努力と情熱には脱帽です。
この本の出版があったからこそ、当時にフランスの人々は、日本文学により近づくことができました。
もちろん、この本の中に4500もの全ての詩が取り上げられているわけではありませんが。。。
ここに紹介されている9首の万葉集の作品の中に、
このサン=サーンスが引用した空蝉し〜の詩が取り上げられているのです。
サン=サーンスが、何らかの経緯でこの書物に出会い、
この黄色い王女の劇作家であるルイ・ガレら、
日本好き仲間たちと共にその内容に興味を持ったのが、
万葉集とこのオペラのコラボレーションのきっかけでしょう。
しかし、万葉集の何が、オペラに取り入れるほど彼の注目をひいたのでしょうか。
この和歌の歌い手は皇后で、天皇の死に際してその悲しみを嘆く気持ちが表されています。
着物など、身につけるものに愛する人を喩えた、比喩や仮定表現などのとても切ない感情描写がなされた作品ですが、
黄色い王女の冒頭の歌詞に、この『空蝉し〜』という作品をわざわざ選んだことの理由には、それほど深い意味はないと見ています。
というのも、この歌曲の歌詞の前後、日本語の後にフランス語で歌われるものとの意味に前後関係がないからです。
こちら短歌ではなく、もう少し文字数の多い長歌なのが、もしかして歌詞にするには良かったのでしょうか。
しかし、万葉集の文学作品としての特徴には、サン=サーンスのもつ美学と大いに関わりがあります。
|万葉集とサン=サーンス 形式とフレーズ|
Athnlogie Japonaiseには当時のフランス人から見た万葉集の特徴が語られていて、
どんな要素がフランスの芸術家たちにとって気を惹いたのかが伺えるのは、日本人からすると面白い点です。
そこに書かれているのは、
・文字数と形式について
・音楽性
・表現の曖昧さ
・言葉遊び
・題材
これをサン=サーンスも目にした、もしくは聞いたのかな?と想像すると、
心躍ります。
さて、サン=サーンスと万葉集を照らし合わせる上で、
ここでは、文字数と形式、そいえて題材という二点に注目しようと思います。
日本の和歌の特徴は、文字数に限りがあり、そんな制限ある少ないスペースの中で、
自分なりの言葉を見つけ重ね合わせて一つの作品を作ることですね。
万葉集の中のほとんどの和歌は5-7-5-7-7と文字を組み合わせて合計31文字で構成される短歌と呼ばれるものです。
長歌といわれる少し長い和歌も200ほどあり、5と7の文字数を繰り返し最後を5−7−7で締めます。
例えば、このオペラの中に取り入れられた和歌は長歌で、
5−7−5−7−5−7−5−7ー5−7−5−7−7となった合計79文字で構成された和歌です。
限られた範囲、与えられた条件の同じキャパシティの中で、言葉の使い方のセンスや音の響きによって個性を出すことが、
この日本の古典詩の面白い点ですね。
このような形式の文字数構成の数字を見ていたら、サン=サーンスの音楽形式が頭によぎりました。
サン=サーンスという作曲家は、保守的で形式や伝統を大切しながら、
そこに斬新なハーモニーや旋律、異国情緒を含むキャラクターを融合させ個性を表現したのが特徴です。
そんな中、サン=サーンスは独特なフレーズ構成を取ることが度々ありますが、
それが韻を踏むように美しく整えられているのが彼の特徴でもあります。
例えば、ヴァイオリンソナタの1番の3楽章を弾いた時に面白いなと思ったことがあります。
テーマは、同じモチーフの繰り返しで出来ているのに、
フレーズや掛け合いを作るのに使われるモチーフの数が少しずつ変わることで、
各フレーズに少しずつ違いが出て、
それがかぎ針のように繋がっていきながらも、
語尾が整って韻を踏んだように毎回落ち着く感覚に、ユーモアを感じました。
サン=サーンスが文学について綴ったとある随筆には、
『詩以外の文学は、芸術ではない』と語られています。
なぜ詩は芸術なのかというと、詩の持つ韻の形式が
芸術性を生み出しているとみなしているようです。
そこで、サン=サーンスの持つ文学作品への美学を当てはめてみるとしっくりくるのが、
この形式という概念。
それが、和歌すなわち万葉集とサン=サーンスを結びつけているのではないかと思います。
また、読むときに抑揚をつけて歌われ音楽のような響きを持つ和歌だからこそ、。
文字数(=フレーズ)や抑揚はどの歌でも同じなのに対し、
その言葉によって響き(=ハーモニー)が変わってくるのが、
もしかしてサン=サーンスの音楽に何か共通する?とも言えるかもしれません。
| 題材 自然と心情 |
続いての共通点となるのが、万葉集に多く使われる題材とサン=サーンスの感性について。
まず、前回の記事で取り上げたサン=サーンスの詩、 « le Japon » を見てみましょう。
日本人の持つ独特な自然観を評価していことが読み取れ、西洋化して薄まってしまう日本独自の美に悲痛を挙げていたのが伺える詩です。
そもそも、万博への複数の参加を通じての日本政府の思惑は、近代国家としてのアピール、西欧化の中での日本という国のイメージの形成だったのに対し、
フランス側が求めたのは古美術や伝統といった西欧とは異なる独自の価値観だったわけで、
この詩にもそのギャップが表れていますね。
サン=サーンスは、さまざまな土地を旅したことで有名ですが、
彼が他国を訪れるときにとりわけ興味を持っていたのは、自然とその土地の人々との関わり方だとか。
(こちらの記事のテーマで取り上げました)
それを音にして、数々の名曲を残した彼ですが、
自然と人々とは、まさに万葉集に描かれている大切な特徴で、このフランス人作曲家と日本の古典文学との感性の共通点が見出せます。
約4500以上もの和歌のコレクションである万葉集は、
庶民から天皇まで幅広い作者の作品が収蔵されており、
身分や年齢、性別に捉われず幅広い層の人々のありのままをみることができます。
当時の人々の暮らしぶりや、日常と共にある様々な自然… 四季や植物、鳥、昆虫などを題材にしながら、
そこに密接したさまざまな感情が31文字の中(それ以上の文字数による形式の作品も少数ありますが)に表現されています。
さまざまな感情、その中でも相聞歌と呼ばれる恋心を歌ったものが美しく、
例えば、平安時代には一夫多妻の制度が取られていたので、愛する人が自分のところに会いにきてくれるのか、
不安と共に待ち焦がれる切ない女性の想い。
この時代にあった « 防人 »(さきもり)、九州という当時からすると遠く離れた地にて国を守る徴兵制度によって
派遣された兵士が、故郷や家族を想って歌った孤独や
夫が徴兵された妻の寂しさ。
といった感情が表されており、時代を感じつつも
いつも変わらぬ人間の感情に共感もできます。
私がこの万葉集の歌の中で、特に興味を惹かれるのは、
古代の日本人が、自然と共に生きていたことがよくわかる、自然と心の比喩表現です。
植物の色づき、開花や花の散る様子、鳥の鳴き声、風の吹き方や月の光…
そういった細やかな自然の変化を観察することで、
それを讃美する自身の感性を観察したり、
恋心などの感情を重ねる古代の万葉人の詩情がとても魅力的で、
現代の社会の中で忘れがちになるこのような心を思い出させてくれます。
開国直後、まだヨーロッパで日本の風習や民俗についてよく知られていなかった時代に、日本を知るための研究ツールにもなっていたという万葉集。
辞書で調べたからといって理解できるわけではなく、20首くらい読まなくてはその世界観を理解できないと
「Anthologie japonais」の著者Rosnyは記しており、
万葉集は、当時のフランス人を魅了した日本的な詩情を広める大きなきっかけとなっていたのです。
19世紀後半の、日本文化について取り上げているとあるフランスの雑誌の中に、万葉集についての目を引く一文がありました。
ーそこに生きる人々の感性や願望、喜びー
に光を当てるだけで十分。
この詩人たちの情熱を取り巻くのは、四季で、
季節の移り変わりや草木や花の開花や散る様に心を打たれるだけでなく、
それらを最も繊細なニュアンスや人々の心に何かを呼び起こす感覚にまで表現できる。
Le Japon artistique
この感覚こそがサン=サーンスが評価した日本人と自然のあり方なのでしょう。
サン=サーンスの書籍『Portrait et Souvenir』には、
このような文章もあります。
現代の人々は芸術家でなくなってしまった。
それを持ち合わせていたのは、古代ギリシャ人と、文明開花前の日本人だ。
芸術的な人というのは、芸術の対象について無知だ。何故なら、至るところに芸術はあるからだ。
日本に古くから受け継がれてきた感性の宝庫である万葉集とサン=サーンスとの出会いは、
必然のような気がして、感慨深いです。
さて、この万葉集とサン=サーンスの関係をきっかけに
プルーストと日本の詩情について
次回は詳しく触れていきたいと思います。
プルーストの文章にわたしが惹かれた理由、
それは自然に人々の心情を投影する美しさに深く繋がっています。
和歌は、限られた言葉の数の中、
比喩やユーモアで読み手に想像を広げさせる一方、
プルーストは誰よりも文章の長さで有名な作家であり、
何重にも付け加えられる形容表現や比喩の豊かさが特徴。
文字に与えられたスペースは正反対な両者ですが、そこに表現されるものの芯は似ているのです。
プルーストは、特にジャポニズムに浸透していたという証拠はありませんが、
サン=サーンスを間に挟み、日本人として私のルーツとも言える日本の詩情と、私に夢見させてくれたプルーストの文章たちの感性が繋がったのには、嬉しさが込み上げます。
フランスと日本を繋ぐ感性の架け橋は至る所に散りばめられていて、
それを見つける宝探しをしているような、何気ない幸せを味わえる日々に感謝です。