ロマン派の時代45-ブラームスピアノ協初演
2022.07.19 11:11
ロベルト・シューマンが亡くなったとき、妻クララは、「神よ、どうかあの人が居なくても生きてゆける力を私にお与えください」と日記に書いた。クララは夫の死を忘れようとするかのように、ドイツ国内からイギリスへも演奏旅行を行った。一方ブラームスは、リッペ=デトモルト侯国宮廷音楽家となった。
ブラームスは、ここでシーボルトの親戚のアガーテ・フォン・ジーボルトと親密になる。そして歌曲を作曲しながら、初の大作ピアノ協奏曲第1番の作曲にかかっていた。この曲は初めピアノソナタとして発案し、その後交響曲にしようと試みたが、また行き詰まり、ピアノ協奏曲にしようとした。
ブラームスとクララはベルリンで再会した。そしてこの協奏曲を初演することにした。クララはこの楽譜にも助言を与えていた。そして1858年3月、クララのピアノとブラームスの指揮で、ハノーファーで、この協奏曲は初演された。オーケストラとピアノを融合させようという意図があり、またブラームスの青春の激情が漲っている。
クララは、ブラームスの恋愛のことでも話し合ったようだ。そして翌59年、ブラームスは「結婚に踏み切れない」という理由で婚約を破棄した。彼はその後一生独身を貫くことになる。クララはアガーテに同情してブラームスに手紙を書いた。