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「宇田川源流」 「死者の墓を暴く」習慣の国に感化された新聞社の「川柳」とその影響

2022.07.20 22:00

「宇田川源流」 「死者の墓を暴く」習慣の国に感化された新聞社の「川柳」とその影響


 7月15日、16日の朝日新聞の「朝日川柳」が話題になっている。まあ、私も見てみたががさすがにひどい。

先に言っておくが、言論の自由を制限するつもりはない。しかし、私は常に「言論には責任を求めるべきである」ということを考えている。つまり、言論は、常に責任が伴い、なおかつその言論は自由であっても「身勝手」であってはいけないということになるのではないか。

これは、今回のことに限った元ではなく、「言論の自由」ということを語るときには、当然に「言論の無責任と言論の身勝手を排除する」という領界が存在するということにあろう。

要するに「言論が自由」でありながら「侮辱罪」や「名誉棄損罪」が成立するということは、当然に「社会秩序を守る」ということが言論の自由の最低限の要件であり、なおかつそのことによって他人を傷つけて良いということではないということを意味している。それも、昨今侮辱罪の罪刑がより一層強められた。これは一昨年、ネット上で誹謗中傷された女子プロレスラーが、その誹謗中傷に耐え切れなくなり、自殺をしたことに端を発し、ネット上の無責任な侮辱が社会的に問題になっている、つまり「社会秩序が守られないレベルになった」ということを意味しているのである。

この事は、当然に政治に関しても同じであり、また、死者に対しても同じである。しかし、なぜか朝日新聞などは「言論の自由は身勝手と同義である」というように考えており、また、その内容は、全く責任を負うものではないというような感じになっているのではないか。

「仏に罪はない」「死者を罵倒することは許されない」というのは、日本の美しい文化の一つである。これに対して、隣国である中国や韓国は、死者であっても墓を暴いてみたり、掘り起こして懲罰を加えようとする。もちろん死者であってもそこに何らかの恨みがある場合、そのようにしたくなる気持ちはあるが、しかし、埋葬されている遺体を掘り起こすというのは、隣国の文化の中での恥の中に入る。そのことを知っているので、三国志の曹操やジンギスカンなどは、自分の墓を隠すように指示しているのである。

当然に、どちらの方が美しい文化課もよくわかるし、いつまでも過去にとらわれていて、幸せなはずもないのである。

安倍氏川柳への批判「重く、真摯に受け止める」 選出・掲載の朝日新聞社が回答

 2022年7月15、16日付の朝日新聞「朝日川柳」に、安倍晋三元首相の銃撃事件を揶揄するような内容の作品が複数掲載されたことが、SNS上で物議を醸している。

 朝日新聞社は7月19日、J-CASTニュースの取材に対し、指摘や批判を重く受け止めているとして、「様々な考え方や受け止めがあることを踏まえて、今後に生かしていきたいと考えています」と答えた。

■「政治的な評価と暗殺をわけて考えませんか」

 問題となったのは、15・16日付の朝日新聞に掲載された「朝日川柳」だ。選者・西木空人氏によってそれぞれ7本の川柳が選ばれている。

 15日には「銃弾が全て闇へと葬るか」「これでまたヤジの警備も強化され」など、16日には「疑惑あった人が国葬そんな国」「死してなお税金使う野辺送り」など、安倍氏の事件や国葬を行う政府方針を揶揄するような複数の川柳が選出されている。16日は選ばれた7本すべてが安倍氏を題材にしたとみられる作品だった。

 この選出内容にツイッターでは、「言論の自由ではありますが、内容については全く共感しません」「不謹慎だし、そりゃ怒られるだろと思う」などの批判が上がっている。

 元お笑い芸人で時事YouTuberのたかまつつなな氏は18日、朝日新聞デジタルの機能である「コメントプラス」を使い、16日の朝日川柳のページに「政治的な評価と暗殺(ご冥福をお祈りする)をわけて考えませんか」と書き込んだ。

 安倍元首相の功罪はどちらも大きいと前置きしつつ、「暗殺されていい人などこの世にいません。暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのかと少しこの川柳を拝読して、悲しくなりました」とした。

 たかまつさんは「投稿者の方というよりも、これを選び掲載された朝日新聞側に問題提起をと思い投稿します」と訴えていた。

■「掲載は選者の選句をふまえ、担当部署で最終的に判断しています」

 朝日新聞社は19日、J-CASTニュースの取材に対し「掲載は選者の選句をふまえ、担当部署で最終的に判断しています」と経緯について説明。「朝日川柳につきましてのご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」と述べた。

「朝日新聞社はこれまでの紙面とデジタルの記事で、凶弾に倒れた安倍元首相の死を悼む気持ちをお伝えして参りました」とし、「様々な考え方や受け止めがあることを踏まえて、今後に生かしていきたいと考えています」とした。

 また、15日に掲載された「還らない命・幸せ無限大」という川柳については、一部で安倍氏の事件に関するものとの誤解が広まっていたが、これは「東電旧経営陣に賠償命令が出たことについて詠んだ」ものだと説明している。

2022年07月19日 21時00分 J-CASTニュース


 この「隣国的な文化」しかなく「日本人として当然に持ち合わせている文化が存在しない」のが朝日新聞であり、その川柳である。同時に、安倍元首相を揶揄している川柳といっても全くそれを楽しめるものではないし、また、そのことで読んだ人が不快になるということになる。

それどころか、今後「朝日新聞に広告を出す」または「朝日新聞の取材に協力する」ということは、「死者にまで揶揄するというような、日本人的な常識を持ち合わせていない」というように判断され、朝日新聞離れがより一層強くなるのではないか。

例えば「銃弾が全て闇へと葬るか」<上記より抜粋>などは、呪劇による暗殺を肯定しているように見られる。つまり「朝日新聞はテロを肯定している」ということになり、犯罪者の集団の機関紙ではないかということになるのである。そのような所にまともな広告や企業スポンサーが集まるであろうか。朝日新聞そのものが「テロ体質」「隣国体質」ということが分かれば、当然に、「日本を健全にするために政治的な意見を言っている」人々が徐々に離れてゆく結果になるであろう。

「掲載は選者の選句をふまえ、担当部署で最終的に判断しています」と経緯について説明。「朝日川柳につきましてのご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」と述べた。<上記より抜粋>

さて、まさにここに書いているように「真摯に受け止める」が「反省する」「謝罪する」などということは全く考えていない。同時に、この川柳を読んで不快な思いをした人のことなどは全く考えていない独善的な新聞であるということはよくわかるのではないか。このような新聞が日本に存在すること自体が信じられないのである。

政治に関する意見を言うのは良い。しかし、人格批判をしたり死者を罵倒するのは「日本の文化」なのであろうか。日本の新聞であるならば日本の文化をしっかりと守るべきであるし、そのことを破るのであれば、このような川柳ではなく、しっかりとした理論を持ったうえで、国民を説得すればよい。

そうでなく、ただ「揶揄して面白がっている」のであれば、「死者を罵倒して楽しんでいる」「人の死を喜んでいる」ということにほかならず、猟奇的な新聞としかならない。

はっきり言うが、朝日新聞は今までも何度も同様の事件を起こしてきているのであるが、その度に「真摯に受け止める」として、全く体質が変わらないどころか、かえって悪化している。そのような日本人の常識を無視した新聞は日本に必要なのであろうか。

朝日新聞の読者も、一般の多くの人にそのように見られていると自覚すべきであるし、またスポンサー企業も「人の死やテロを肯定する仲間」とみられることを、今後覚悟すべきであろう。