会いたいけれど、会えなくて
皆さんこんにちは!
約半月ほどお休みを頂いて、沖縄へ一時帰省しました。約1年ぶりの地元は、変わらず湿度の高い、でも穏やかでとても空が広い素敵なところでした。
大学進学で上京するまで過ごした実家に足を踏み入れると、祖父にただいまと声をかけます。これだけは帰省するたび欠かしません。
私が2歳の頃亡くなった祖父のことを、正直に言いますとよく覚えていません。しかし、祖父を知る人が皆、素晴らしい人だったと口を揃えます。沖縄県のために生き、家族を心から愛し、沢山の人を分け隔てなく助けた祖父を、関わった全ての方が武勇伝のように語っているのを聞いて、誇らしい気持ちと、私ももっと接したかったという気持ちが溢れます。どちらかというと後者の方が強く、祖父に関する文献を漁っては、祖母にそのことを詳しく聞いたり、若かりし頃の写真を見ては、何故だか切ない気持ちになります。
色んな経歴を持つ祖父ですが、先日初めて消防団長だった20代の頃の写真を、近所の消防施設で拝見しました。祖母は懐かしそうに、そして切なそうに目を細め、じっと祖父の顔を見つめていました。その時祖母が小さく漏らした声色を、私は一生忘れる事はないでしょう。それほど切なく、愛や後悔、とても言葉では表せない様々なものがこもっていました。
祖父は最終的に政治家や沖教組(沖縄県教職員組合)理事として人生を全うしました。今話すことができたら、一体どんな事を話すのだろうと、この時勢を見て何を思うのだろうと考える時があります。今の政界はどうか。世界の平和はどうなるのか。沖縄は祖父が望む未来を迎えたか。そして私のことも愛してくれていただろうか。沢山のことを聞きたくてたまりません。
祖父が生きていたのなら、私はもしかしたら音楽の道を進んでいなかったかもしれません。そう思うほど、祖父の尽くした事柄に興味があり、長生きしていてくれたなら意志を継いで、私も祖父と同じように沖縄の、そして世界の平和のために生きてみようと思うことがあるのです。ですが祖父は20年以上も前に亡くなり、私は音楽の道に進み、今ここでブログを書いています。人生とは、全て思い描くようにうまくいくわけではないようです。
さて、今回は祖父について書かせて頂きました。私はこれからも祖父についての文書を読み漁り、そして彼を心に抱く沢山の方からお話を聞き、彼が愛した祖母や母を、私も心から愛し、大切にして生きたいと思います。それが一番の祖父孝行だと思って。
それでは皆さん、今日はこの辺で。