筋肉痛
筋肉痛の話しです。
12月に来院して2日後のマラソンに出ると言っていました。
身体を調整し、体調をととのえました。
マラソンを走ってどうだったか?
筋肉痛がなかったのははじめてでした~。
嬉しかったです。
って言ってました。
そしてタイムが4分縮まったそうです。
次に出るときは必ず調整に来ます!!
って言ってました。
身体のバランスもそうですが、無理をして走るのではなく楽しく走ってもらえたのが良かったと思います。
タイムを縮めたいと思う気持ちが強すぎると身体が無意識に緊張します。
そうならないように密かに調整してみました。
身体のバランスってどうとるんでしょうか?
なにをしたらバランスがとれるんですか?
鍼打ったらとれるん?
そんなことは絶対にありません。
揉んだり叩いたり擦ったり、なでたりしたらとれるん?
そんなことは絶対にありません。
その人にとって何が問題で何処がアンバランスを起こしているのかを診断しなければなりません。
そしてそれは常識では想像することもできないことが殆どです。
刺激は何でもいいです。
見つめるだけで効果はあります。
どこに鍼を打っても揉もうが叩こうが極端な話しですが無茶苦茶なことさえしなければ効果はあります。
大事なことは、その人の今の状況がどうなっているかを明確に把握することです。
それさえ把握でき、それを確認さえできれば何をやっても効果はあります。
こんなことを書いたら専門家の先生に怒られるんですよね。
でも事実です。
方法論にこだわり続けている人にはきっとわからないと思います。
学者の考えと臨床家の考えが違うのはそういうことなんでしょうね。
でも学者さんは、なんとか体系づけようと努力されています。
それはそれで尊いことです。
でも体系づけるということは過去の寄せ集めから道筋をあらわしただけです。
過去から学ぶものもありますが、あくまでも過去であり参考でしかありません。
臨床では、なんとかしてなんぼの世界です。
そもそもそれを見つけるのが診断なんです。
その異常は何と関係あるのか?
何から影響を受けているのか?
関係のあった異常は何と何に影響を与え、どういう現象が起きているのか?
古典をしっかり読んでいてもわかりませんし書いてありません。
古典は過去の事例です。
もしかしたら古典の隅に書いてあることもあるかもわかりません。
しかし、その隅に書いてあるものを見つけるのはやはり直感でしかありません。
直感は何もないところからしか生まれません。
これがもの凄く大事。
これがアホになる修行です。
今その人にしか適応でない何かを今見つけなければ治療効果はありません。
それを明確にしないと治せるものが治らない。
標準的な治療で治せないものしか変化させられない。
古典読んで臨床できる程甘くはない。
大家の先生について教えてもらったから出来るようになる程甘くない。
それで良くなるのは一部です。
良くならない人をどうするのか?
それを分析していくことです。
だから面白いんです。
面白いけど苦しい。
何もないところから生み出さなければならないから智恵をふりしぼる。
だから思わぬ事実が判明する訳です。
でもそれも完全に捨てて今を見なければ目の前にいる人は治せない。
経験も記憶も捨てることしかありません。
だからこそ楽しい。
それが臨床です。
身体に聞く。
それしかありません。
常識的なやり方では通用しないから身体に教えてもらうしかありません。
先人達は知っていたと思います。
身体は永遠の古典だと・・・。