書の上達の秘訣
書の上達のための秘訣をひとつあげよ、と言われたら「やめてしまわないこと」だと思います。なんだ、そんな答えか、と思われたかもしれませんが、ちょっと熱く語りたいと思います。
今の教室をオープンする以前から、いろいろな書道教室で講師をしてきましたが、子どもの生徒さんの父兄から、「なかなかノートの字がうまくなりません」といわれることがよくありました。私は必ずこう申し上げます。
「それは当然です。お子さんにセンスがないわけでもなく、お稽古の効果が出ていないわけでもありません。」
何気なく書く文字が美しいというのは、何年も書をやっている人でも容易ではなく、しかしそれはどんなお稽古でも言えることです。
茶道のお点前や立ち居振る舞いにしても、何度も繰り返し練習し、型を徹底的に体に覚えこませ、無意識にそうできるというレベルになってはじめて、ふとした所作も美しいといえるのではないでしょうか?
大人クラスの生徒さんの、ふとした所作にくぎ付けになったことがあります。水滴で水をたらすその一瞬だったのですが、水滴を持つ右手、水滴に添える左手、注ぎ口から出る水滴をのぞき込む姿勢、そのトータルの所作がとても美しかったのです。
その方は長年茶道を学び、教えることもなさっていた方、そっか、これが体に染みついているということなのだなぁと感動した瞬間でした。
お子さんのノートの話に戻ります。
私は幼いころ、いろいろな蛍光ペンやラメ入りペンなどが楽しくて、ノートを華やかに、きらきらと美しくしようとした時期があります。おそらく個性を出したいのに、制服や髪形などの規則がうるさい就学の時期、そういったことで自ら、個性の発露を促していたのかもしれません(笑)しかし、学習のためのノートの筆記という意味では、よろしくないでしょう。
つまりノートというのは、そもそも美しく書こうとしていませんし、そうする必要がありません。というより、そうしない方がベターなのではないでしょうか。
先生の話を聞きながら、自分のために記しているものでありますから、字の美しさを気にすることでかえって授業が頭に入ってこないという弊害のほうを重視すべきです。
私は、誰かに手紙を書く時、姿勢を正し、その方を想って心を清らかにし、美しい字を書こうと意識します。それでもなかなか満足いく字が書けるわけではありません。
無意識で美しい字が書けるというのは、一朝一夕では到底かなうものではないのです。
私はこれまでの人生で何人かの先生に教えていただきました。つまり何度かやめています。その理由として、書の挫折も当然ありますが、受験や大学進学、仕事や結婚などでの転居、人生にはいろいろな節目があります。つまりその都度、その書道塾はやめて、新天地で新たに師匠を探すということをしてきたわけです。いろいろな事情があり、同じところでずっと続けることは容易ではありません。
ですから、私が今の生徒さんに望むことは、ここをやめても書道をやめないでほしいということです。
何気なく水滴を持つ所作が美しいように、いつの日か何気なく書いた字が美しくなるためには、継続が必要です。こればっかりは根気よく続けるしかないのですが、ただ苦行のように思われては本末転倒。ですから楽しく続けるための試みを探ってきました。
大人の生徒さんは、これまでの人生で誰かに書道の魅力を教わったのでしょう、だからこそ、やめてしまわず、私に声をかけてくださったのだと思います。
しかし、お子さんはそうではありません。きっとご家族のどなたかが、その人生において誰かに書道の魅力を教わり、ご自身がその魅力を十分理解されていて、自分の子どもには習わせたいと思ってのことと推察します。
であるならば、真っ白な状態のお子さんに、書道が魅力的だと思っていただけるような機会にしたい。子どもクラスにおいて、無料の書道講義を始めたのもそういった理由からです。
これからの長い人生において、中断することはあっても、「あ、また書道はじめよっかな」と折にふれて思い出してもらえるよう、心法書道では書道の魅力を伝えるということに力を入れています。
子どもクラス、大人クラスともに生徒さん募集中です。
ご興味のある方はどうぞお気軽にお問い合わせください。
うちの薔薇にいた子どもかまきり、しばらく遊んでみると懐いた感あり(笑)カメラ目線、ポージングも抜群。自然の造形は素晴らしいな。