昭憲王后 沈氏
★王后(世宗夫人)
昭憲王后沈氏(ソホン ワンフ シム氏)
本貫:青松沈氏
☆生没年
1395年〜1446年
☆在位期間
1418年〜1446年
☆宗室
【父】
沈温(シム オン)
【母】
三韓国大夫人順興安氏(サマングク テプイン スンフン アン氏)
【夫】
世宗/忠寧大君(チュンニョン テグン)
【王子】
世祖/首陽大君(スヤン テグン)
安平大君(アンピョン テグン)
臨瀛大君(イミョン テグン)
広平大君(クァンピョン テグン)
錦城大君(クムソン テグン)
平原大君(ピョンウォン テグン)
永膺大君(ヨンウン テグン)
【王女】
貞昭公主(チョンソ コンジュ)
貞懿公主(チョンウィ コンジュ)
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世宗の正后、昭憲王后沈氏の本貫は慶尚北道青松。門下侍中、沈徳符(シム ドクプ)の孫娘で、領議政、沈温の娘です。1408年、忠寧大君と嘉礼を行って嬪となり、敬淑翁主(キョンスク オンジュ)に封じられました。1417年、三韓国大夫人に封じられ、翌年6月、忠寧大君が王世子に冊封されると、敬嬪(キョンビン)に封じられました。同年8月、内禅を受けて世宗が即位すると、12月に王后に冊封され、恭妃(コンビ)と称されました。しかし、1432年、中宮殿に別称をつけるのは慣習にないとされ、恭妃という称号はなくなりました。
沈氏の父、沈温は世宗即位後まもなく領議政に就きました。ところが、謝恩使として明からの帰国の途中、実弟の沈泟(シム ジョン)が軍国大事を上王である太宗が処理すると不平を述べたことで獄事が起きました。沈温はこの事件の首謀者として逮捕され、京畿道の水原で自決させられました。このため、沈氏を廃妃するとの論議がありましたが、彼女の内助の功績が認められ、廃妃は免れました。後に沈温は外孫の文宗により名誉回復されます。
沈氏は10人の子供を生みましたが、長男、珦(ヒャン)=文宗をはじめ、首陽大君、安平大君、臨瀛大君、広平大君、錦城大君、平原大君、永膺大君という王子8人と、公主が2人です。
昭憲王后沈氏は1446年、51歳で死去し、世宗が死去した後、世宗と同じ英陵に移され、朝鮮初の合葬陵となりました。
英陵