自然のゆらぎとムダ
参議院議員選挙の最終盤に安倍晋三元内閣総理大臣が凶弾を受けて他界された。元首相の突然の御逝去に謹んで哀悼の誠を捧げる。選挙は終了し政局はめぐるが、皆様方には、この暑い夏をどうか御健勝にてお過ごし頂きたいと念じている。私は毎日、血圧と体温と体重を計っている。先日、測定値に若干の異常があったが、これについてはいずれお話ししたい。体温計測は、コロナ襲来以後のことであるが、血圧はチェコ勤務以来である。もともと、私は低血圧気味だったので、血圧はあまり気にしていなかったが、チェコ在勤時代、外交官勤めの緊張のせいだろうか、定期検診で血圧が高いと注意された。このままいけば、生活習慣病にかかるかもしれないと。そこで、たまたま携行していた血圧計を取り出して、日々測定を開始した。毎日の血圧計測によって体調に思いを馳せ、飲食を調整するなど常に生活習慣に気をつけるためである。計測結果はパソコンに打ち込んで記録した。私は生来ルーズな人間だが、尊敬する羽咋出身の先輩倉部行雄さんは、実にマメに記録をとられ、それがあの随筆や川柳に活かされていると通産省の関係者から聞いていたので、その真似をしたのである。さらに、それをプラハでかかりつけの女性家庭医の診断時に毎回持参して見せていた。彼女はこれは大切なデータだとカルテに付けて保存してくれた。私の計測継続を督励して、体調維持に注力させようという作戦だったのだろう。そのうち、私の血圧はそこそこのところに落ちついて、無事、プラハ勤務を終えることができた。
プラハ以来、毎日10回測定を続けており、収縮期血圧(高い方)と膨張期血圧(低い方)と脈拍の記録をとり続けている。一回の計測時間は約1分。全所要時間は10分だ。本当は、朝夕一回ずつの計測がいいところだろうが、正確を期するため、朝夕5回ずつ計り、スポーツの採点競技のように最高値と最低値を除いた残りを平均することを考えた。しかしやってみると、一々平均の計算をするのが手間で、しかも私は夜比較的早く眠くなるので、血圧計などは取り出したくない。ところが記録欄に10段のスペースを設けてしまったので、それを埋めるべく、毎朝一気の10回計測を基本とすることにしたのだ。
慌ただしい朝の10分間を血圧計測に当てて、ジッとしているのは辛いが、決して無意味ではない。1回毎の計測条件はほぼ同じなのに、結果の数値がかなり変動するからだ。私の体調も10分間のうちに微妙に変わる。時に咳やクシャミが出そうになってこらえる。また、左上腕部に巻く腕帯の圧力とのバランスで、皮膚の外から体内の血流の圧力を測るのだから、計測のメカニズムも擾乱を受けやすい。そんなこんなで測定した結果が微妙に変動する数字として並んでいるのを眺めると、「自然はゆらぎを好む」と説かれる物理学の大家鈴木增雄東大名誉教授の言葉を思い出す。私の身体も極くささやかな自然の一部だ。この微小自然の「ゆらぎ」の計測を極大化したものが、自然を組織的に大規模に観測し、数値化、文章化して予報する気象庁の仕事であろう。本稿を草するにあたって、鈴木增雄先生の言葉を確認するため、本田財団が所蔵する講演録の当該頁を開いたら、そこには「自然はゆらぎを好む」のあとに、「が、無駄を嫌う」と記されていた。妻も息子も毎日の10回計測と記録は、時間のムダ、乾電池のムダ、記録紙のムダ、筆記用具のムダと笑う。生活に不可欠な気象庁の観測とは正反対である。しかし私は、自然のゆらぎを目視によって実感したいため、ここは自然の営みから外れて、この計測方式はやめないでおこうと思っている。
(2022年7月18日記)