第2回十字軍6-セルジュクの待ち伏せ攻撃
2018.02.01 03:15
さて1147年、ドイツ、フランス軍を中心とする第2次十字軍はエルサレムに向かって進み出した。ドイツ軍が先頭でフランスはかなり遅れて続く、ルイの妻アリエノールは、アキテーヌ軍と胸甲をつけたアマゾネスのような女官を率いていたそうだ。縁起をかついで、第1次十字軍の通った道を行った。ブルガリアで、ビザンツと諍いがあったようだ、この殿で活躍したのが誰あろう、後のフリードリヒ1世バルバロッサである。
コンスタンチノーブルに着くと、ビザンチン皇帝は「ここからはイスラムが居るから危ないよ」と海路を推薦した。この言葉を侮辱ととったコンラートは断固陸路を行くことにした。ドイツは他にもまして武装を固めた重装騎士団をもっていた。
しかし、セルジュークはもう対策済。重装はフットワークでかく乱すべし。それにイスラムも学び、武装はかなり強化されていた。「やはり金属はヨーロッパもの」ということで、十字軍国家にいるイタリア商人を通じて買っていたのだよね、東西交流の成果である。そしてビザンチンは中立の密約をしていたのだ。
ということで、コンラートはあの第1次で勝ったドリュラエウムで待ち伏せ攻撃にあってセルジュークの雪辱戦の犠牲となって惨敗を喫した。皇帝コンラート自身も重傷を負ってニケーアに逃げ込み、フランスのルイと合流した。コンラートは、傷の治療のためコンスタンチノープルに戻ることとなった。フランス軍もセルジュークに悩まされ、結局アンティオキアまで船に乗った。
下はギュスターブ・ドレ作「待ち伏せするセルジュク」