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uakokomegumiのフラ日記

ダミアン神父 カラウパパ

2018.02.10 03:00


昨日の続きで今日はカラウパパを語るうえで最も偉大な人物をご紹介します。


彼の名前はヨゼフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster)

修道名はダミアン神父。


彼がカラウパパを訪れたのは33歳のころでした。

それから49歳で亡くなるまでカラウパパの患者たちを励まし勇気づけケアに一生を捧げました。


彼もハンセン病に侵され、それでも患者たちのケアをし続けたと言われています。


彼はベルギー出身で農家の7人兄弟の末っ子として生まれました。

幼児洗礼を受け修道院に入っていた兄や姉の影響を受け自らも1859年、イエズス・マリアの聖心会に入会し、司祭として自らの一生を捧げることを誓いました。


1863年、同じ修道会にいた兄がハワイ王国への宣教師として派遣が決まっていたが

チフスによって急遽派遣が中止となったがダミアン神父は特別な許可を取ってハワイに派遣されることになりました。


1864年ハワイのホノルルに到着し、まだ学生だったダミアンはホノルルにあるアワー・レディー・オブ・ピース大聖堂で司祭となりました。


ハワイの各地で活動して8年。

ダミアンはハンセン病患者の世話をするものが誰もいないことを知り、モロカイ島へ行くことを決意しました。


当時、ハワイではハンセン病患者が見つかるとすぐカラウパパに連れて行き隔離し、そこで誰からも世話されずに死んでいくという状況でした。


ハンセン病患者以外のものでカラウパパを訪れたものはダミアン神父が初めてでした。


当時は800人ほどの患者が隔離され、415人が病院と呼ばれる家に収容され、年間142人が死亡するという状況でした。


ダミアン神父は荒れたカラウパパでの生活環境を整え始め。

資金を集め、学校を作り患者たちの世話をしました。

長年の活動が実り、環境は大いに改善され施設は充実していました。


1881年にリリウオカラニ女王も訪問するなど

ハンセン病患者の現実にたくさんの人々が目を向けることになりました。


1884年、ダミアン神父も自らハンセン病を発症し治療を受けるようになります。


様々な治療を試みたものの病は進行し1889年4月15日に医師やシスター、協力者や患者に看取られこの世を去りました。


現在、ダミアン神父はベルギーの英雄としてベルギーの故郷に埋葬されていますが

1995年に遺体の右手だけがハワイのカラワオの墓に戻されました。


ダミアン神父がなくなってからもハンセン病が収まることはなく

マザー・マリアンヌや医師たちにより患者たちのサポートをされましたが

1918年マザー・マリアンヌが80歳で死亡。

その後1946年、サルフォン剤による治療が始まり患者が少なくなり

1969年、カラウパパへの隔離法が廃止され

1980年国立歴史公園となりました。


廃止された後でもカラウパパに残って生活している方もいらっしゃいます。

現在も少なくなっていますが数人がカラウパパの地で生活しています。


ハンセン病は終わりを迎えますがこのカラウパパの地で起きたことは忘れてはいけない大切なことです。

ぜひ、カラウパパに訪れてください。


ハワイは現在観光地として盛んにたくさんの方が訪れるところですが

そんなところでも様々な歴史があり、忘れてはいけないことがあるんです。


ぜひ、フラを踊るときに頭の隅っこのほうに置いといてください。

楽しいだけではなく、様々な歴史や悲しい出来事などを知ってこそ

深く、心に残るフラを踊ることができるのだと思います。


日々勉強ですね。